【 中身チラ見せ 1 】 本書前半(1~4章)の内容を少しずつ紹介していきます


006-4 歩道を立体交差化したロータリー交差点(ラウンドアバウト) 2011/2/26

 

 一見他愛のないアイディアに見えるかも知れませんが、第三章の都市内での「一方通行システム」とともに、拙著内でイチ押しの「発明品」です。

 

 たとえば田園地帯の中で県道どうしが交差する交差点があると、

①.はじめは、一車線ずつの幅で単純に信号機を置いたもの、

②.そのうち、幅を広げて右折レーンを増設、

③.次に、右折の安全を保つために、右折信号を増設、

これで完成という形になりますが、信号の時間は長くなる一方で、現実には、その間に周囲にガソリンスタンドやコンビニができて、交差点付近での出入りのクルマばかりが増えて、通過容量はさっぱり向上しない、それでいて横断者は高速で交差点を通るクルマに注意して渡るという意味では何の進歩もない形のままです。

ボックスカルバートで立体交差化したラウンドアバウト(本書p246)
ボックスカルバートで立体交差化したラウンドアバウト(本書p246)

 それに対して、究極の交差点として、図のような3mほどの盛り土の上にロータリー交差点を作ることを考えてみます。

 歩行者や自転車、小さな農耕車などはボックスカルバートで車道の下をくぐって安全に行き来ができます。

 クルマの方は、イギリスのようにロータリー内を優先として、交差点の手前の登り坂で自然に減速して一時停止し、直進も右折も同じ条件で通過して、交差点を過ぎたら下り坂で元の速度に加速するのが楽になります。

 

 現代の日本の風潮は、日本中の信号機をLEDに置き換えることで電気代を節約できるという方向に向かっていますが、この方式だと信号機そのものをなくすことが可能になります。

 もちろん、横断者が右左折で巻き込まれる危険もなくなり、クルマの通過容量は一般の交差点の倍近くに増えることが予想されます。

 

(p246:4 クルマのための道路 /4-4 地方都市のバイパス道路 /4-4-4 バイパス道路の交差点)

A balcony roundabout:Vulnerable road users can go underneath the roundabout.
A balcony roundabout:Vulnerable road users can go underneath the roundabout.

 

 

006-4 Balcony Roundabout  26-Fed,2011 

This is one of my best invention besides "Oneway Traffic System".

Because walkers and bikes are separated from cars, this junction can handle more traffic than any other types.

It might come up to 3600 cars per hour.

Upslopes make cars slow down to safe speed and  downhill road should assist cars to previous speed.

 

蛇足:拙著では触れませんでしたが、仮に交差点(の歩道のない側)にガソリンスタンドができたら出入りはどうなるでしょうか。

 もし、ガソリンスタンドが二つの道路に面していれば、片方の道路から左折のみで入り、もう一方の道路に左折のみで出るように設定することが可能になります。

 ロータリー交差点(ラウンドアバウト)には安全にUターンできる機能も含まれているんですね。

 

アムステルダムのラウンドアバウトの中央島(信号制御のタイプ)/ A traffic island of a circular intersection, Amsterdam
アムステルダムのラウンドアバウトの中央島(信号制御のタイプ)/ A traffic island of a circular intersection, Amsterdam

追記 2013/12/27

 

 いちおう、本書内イチ押しの発明品としながらも、本当に3m程度で自動車が減速してくれるものかと疑問に感じて、簡単な計算をしてみました。

 

 高さ3mの「マウンドアバウト」の場合は、40km/hで走行してきた自動車は29km/hに減速する勘定になり、運動エネルギーのほぼ半分が位置エネルギーに転換されて、ブレーキが負担するエネルギーは半分ほどになります。
 50km/hの場合の運動エネルギーは、5mの高さがあれば半分ほどを位置エネルギーに転換することができます。

 

 ただ、上り坂の途中で停止する不安があったり、極端な低速になって時間がかかる場合には、どうしてもアクセルを踏み込むことになりますから、減速後の速度は20km/h程度には保つ必要があり、そうなると3~5m程度が建設費との関係でも現実的なところかもしれません。

 あとは、交通量や大型車の挙動、道路の性質に応じて、防護壁の構造、傾斜の勾配やフラットな部分の長さをどうするかなどが研究されれば、実現は可能だと考えています。

 

本書P249:図4・28 歩車分離信号の交差点
本書P249:図4・28 歩車分離信号の交差点

084-4 動線を水平的に分離した交差点 2019/5/19

 

 もともと他の先進国と異なり、日本では歩行者が犠牲になる交通事故が突出して多く、これにはもちろん歩道もない古い街道がそのまま国道などに指定されたままというような拙速な道路行政が深く関係していますが、最近になって交差点で犠牲になる歩行者が問題にされたため、俄かに「歩車分離信号」なるものが注目されるようになりましたが、オランダではもっと優れた例を見かけ、本書でも紹介しています。

 

「4-4-4バイパス道路の交差点」

・歩行者と自動車とを完全に分離した信号

 交通容量を増大させる目的ではありませんが、オランダには、郊外の高規格の街路の交差点で、歩行者と自動車、及び自動車どうしの干渉を全て避けるように工夫されたケースが見られ、これも研究に値すると考えています。

 これは、交差点に入るそれぞれの道路に、右折用、左折用の専用レーンを設けるだけのゆとりがあり、なおかつ歩行者との立体交差を行わない場合に有効で、自動車と歩行者との干渉が排除できるほか、自動車と自動車の動線の干渉もないので、究極的に安全を求めた信号の方式であるとも言えます。

 

 日本でも、いわゆる「歩車分離信号」というものはありますが、それよりも効率の点でも安全性の点でも優れていると考えられます。

 図4・28のように、①~④の四つのパターンの組み合わせで、オランダの実施例を観察した限りは、交差点で停止している車の停止時間や自動車の数に応じて自動的に操作されているようです。

 歩行者と自転車は横断する際に押しボタンを押すことになっていて、押しボタンが押されない場合は①や③の直進信号の状態でも歩行者信号は青にならない場合が多いようです。

 

 押しボタンが押された場合の①、③の直進のパターンでは、歩行者が横断に掛かる時間が必要なため、おおむね30秒以上、1分程度までが多く、図のようなケースでは車道の全幅が20mほどにもなるので、100メートルを歩くのに2分かかる老人を基準にすると24秒以上ということになりますが、やはり余裕を見るとその二倍程度は必要でしょう。

 ②と④の右左折の時間は、10~20秒程度の、日本の右折信号程度の時間である場合が多いようです。

 押しボタンが押されない場合での①、③の時間長は、他のレーンで停止中の自動車の存在次第で、短い場合は②、④と同程度の10~20秒程度の場合もあります。

 信号が操作される順番は、必ずしも一定ではないようで、自動車の存在次第では、例えば、①、②、①、②、③、①、③などといったパターンもあるようで、特にそれによる混乱はないようでした。

 これは、それぞれの方向の専用レーンを設けるという条件が満たされれば、既存の交差点にも採用できますし、車道上の自動車の検知器の設置と、信号機の変更などで済みますから、大規模な土木工事なしに、高いレベルでの歩行者の安全を確保するには有効な方法

であると考えられます。(本書:P248)

 

 実際の現場はアムステルダム南郊にあります。

 

一方通行幹線街路の交差点処理
一方通行幹線街路の交差点処理

028-3 一方通行街路の交差点 (3街路をつくる/3-1-3手を挙げて横断歩道を渡りたい p77)  2011/8/27

 

 第三章では、市街地内の幹線街路をすべて一方通行にして信号機を廃止もしくは点滅に変更することによって、車道レーンの稼働率を二倍程度に引き上げることが可能で、車道幅を3m程度に絞った結果空いたスペースを、自転車レーンや駐車帯などの他の用途に転用することが可能であることを論じています。

 そうして、全面的な一方通行化の実現と、自動車の通行から歩行者の安全を保ちつつ、歩行者の行動の制約をなるべく減らす上でカギになるのが、手を挙げて横断歩道を渡ることを実質的に可能にするための交差点の構造での工夫になります。

 交差点処理にとってもうひとつの課題は、自転車の存在ですが、幹線街路には必ず歩道からも車道からも独立した一方通行の自転車レーンを設けたとしても、現行の日本の街路の場合は、幹線街路どうしの交差点では、自転車と歩行者とを混在させた方が安全が保ちやすいと考えられ(本書 p127)、そうなると交差点では車道を絞り込むことで、比較的容易に十分な歩道スペースを確保することができます。

 

 具体的には、上の図のような形状になり、車道を一車線分に絞り込むことと、横断歩道の手前にコンクリート製の車止めを埋め込んでおくことで、暴走車があっても歩行者を守ることが可能なほか(本書 p146)、段差やポールをうまく活用して、歩道は完全なバリアフリーを達成し、自転車も歩行者とクルマとの間で相互の安全を保ちやすくなります。

 

本書で示した川沿い道路と橋との交差点
本書で示した川沿い道路と橋との交差点

062-4 橋を活かす橋詰の設計 2013/5/11

 

 実はこれは、本書内で示した発明の解説と言うよりは、本書内で犯した勘違いの訂正という形になります。

 

 川の堤防に沿って道路を建設することで、比較的安い建設費で、ほぼ自動車専用道に匹敵する交通容量と平均速度の道路を建設する可能性を考えてみます。大きな川には数キロに一箇所程度しか橋がない場合が多いので、橋詰の箇所にインターチェンジを設けるだけで、それ以外の箇所では交差点は不要になりますから、これは自動車専用道路に準じたものになります・・・

 まず考え付くのは、堤防の上を道路とするものですが、その場合、堤防の上を通って河川敷に行く人にとっては危険な横断が必要になり、堤防の機能からして下をくぐるわけにも行かず、その上、重量のある車両が通ってダメージを与え続けることは、堤防としての能力を低下させる原因・・・幅をたっぷりとって堤防の強度を極限まで高めた「スーパー堤防」なるものも考えられているようですが、そこまで土地に余裕があるのであれば、もっとうまいやり方も見つかりそうです。

 堤防のすぐ外側に道路を敷設し、橋の部分での処理を工夫する・・・仮に、スーパー堤防を築くほどの土地が確保されているのであれば、堤防を二重にして、その間に道路を作れば河川敷にも堤防の外にも騒音が洩れないので、周辺環境にとって望ましいものになる

(4-4 地方都市のバイパス道路 / 4-4-3 専用道に準じた道路 / 川沿い自動車道:p244)

橋の通行を促す橋詰の形状
橋の通行を促す橋詰の形状

 この発明のミソは、堤防の高さの関係で、川に沿った道路と橋とが自然に立体交差になることですが、その際に川沿いの道路の流れを優先することばかり考えて、肝心のお金のかかったインフラの代表でもある橋梁の側の交通容量を軽視したことが大きな勘違いでした。つまり、このようなダイヤ型の立体交差交差点の場合でも、あくまでも橋の交通の流れを優先するために、交差点付近では川沿い道路を少し堤防から離すなどして、橋梁部分の交通容量を最大限まで増やす必要があります。


 具体的には、左図のように、まず第一に橋梁から出ていくクルマが滞ることがないように、立体交差を利用して無理なく速やかに三方に分散していくようにし、次には橋梁に入るクルマも三方から無理なく合流できるようにして、少なくとも本線には信号を設置しないことで、なるべく多くのクルマが橋梁を通過することができるようにする必要があります。 現実の橋では、まるで警察と建設省とが示し合わせたかのように、両側の橋詰に効率の良くない信号が置かれて、橋の上の流れは非常に悪いものになっているケースが、ことに大きな河川に架かる橋ほど目につくもので、日々の生活で利用する人々が不便を強いられていることを論拠に、新しい橋の計画が進む場合が多いのですが、数十億円単位の巨費を投じた橋梁の利用効率を高めるためには、橋詰の設計は非常に重要で、それも、ここで示したような比較的安価な工夫だけでも、橋の通過容量は数倍に改善される可能性があります。

三河高浜と尾張亀崎を結ぶ衣浦大橋:片側2車線の長大橋ながら橋詰の信号のせいで流れが悪い
三河高浜と尾張亀崎を結ぶ衣浦大橋:片側2車線の長大橋ながら橋詰の信号のせいで流れが悪い

追記 2013/7/7

 

 橋詰の形状の絵を更新し、橋から出て行く方向はすべて左折で合流できるようにしてみました。 さらに、橋上の制限速度を30km/h程度に抑えると、通過容量は最大で一車線あたり1600台/時間まで増大することになります。1kmの長大橋の場合、時速30kmでは2分かかりますが、渋滞や信号で待たされるのに比べれば短い時間で済みます。

 川沿い道路との合流で渋滞が発生するようならば、橋から出て行く側を優先にしてしまえば、問題は解決します。

 

自転車レーン整備の基本例
自転車レーン整備の基本例

034-3 自転車レーン整備の優先度 2011/10/8

 

 震災で多くのサラリーマンが東京の都心から帰宅困難となったのをきっかけに、自転車を見直す動きなどがあると伝わりますが、これは一過性のブームに過ぎない上に、あまり合理的な考えでもありません。自転車通勤者を「自転車ツーキニスト」と呼ぶそうで、提唱者である疋田智氏は自宅のある日暮里から勤め先の赤坂まで自転車で通っていることを著書に書いていますが、こちらの考えもあまり合理的であるとは言えません。
 先日はあるお笑いタレントがブレーキのない競技用自転車で公道を走行して検挙されて、警察によるキャンペーンの格好の材料にされていましたが、もとの発想に不合理な考え方があることには社会も気づいていないようです。
 公共交通が発達した都内では、自転車はあくまでも駅へ行くまでの補助的な手段であり、それでも駐輪場の問題があるのでなるべく徒歩で、つまり身ひとつのシンプルな姿で都心へ向かうのが東京の流儀で、都心部へ10km前後を通うのに自転車を使うこと自体が合理的ではないからです。

 

 東京では異常に高い土地を手当てしてようやく歩道を確保しているのが現状ですから、自転車の為に専用レーンを確保する余裕があるケースはほとんどないものと思われます。そのため、自転車は歩道を通るのが一番安全ですが、もちろんこちらは歩行者が優先であり、また優先道路沿いの歩道であっても路地との交差点ごとに一時停止するのがルールになりますから、自転車本来の効率の良さは発揮できなくなります。
 そこで、体力に自信がある人は車道を通ることになりますが、こちらはクルマとの速度差があると危険であるため、ニューヨークのメッセンジャーのようにクルマと遜色のないスピードが出る自転車が増えることになり、それでも危険であることには変わりありません。

ライデン中央駅駅前 Leiden Central Station, Netherlands
ライデン中央駅駅前 Leiden Central Station, Netherlands

 東京のサラリーマンが、それほどの危険を冒し、周囲に迷惑をかけながら健康を目指すのであれば、ジムで動かない自転車をこぐという選択肢もありますから、気にかける必要も時流に流される必要もありません。 

 

 むしろ社会が考えるべき「自転車の安全」は、日々の交通手段としての利用者、特に高校生の通学を中心的なターゲットとするべきで、また手段として「土木」に言及できなければあまり実効性はありません。
 老人や主婦層、中学生以下の自転車に関しては、歩行の補助手段としての要素が強いため、少なくとも当面は歩道を走行する方が安全で、違和感もありません。
 結論を急ぐと、地方都市であれ首都圏の郊外であれ、高校生の動線を基に自転車レーンの整備を優先させる路線を決定し、自転車の通過密度に従って専用レーンを準備していくことが穏当であると考えています。
 そうして、高校の近くの道路に充分な幅員が確保できない場合には、その地域への一方通行システムの採用を検討すれば、安全の確立と地域居住者の利便性との両立は可能になります。   

鳥取 瓦町ロータリー
鳥取 瓦町ロータリー

 そんな中で、役所が主導した面白い例として鳥取県の試みがあり、鳥取県庁の近くには高校も多いため、職員が高校生の通学状況を追体験することにもなり、何よりも県庁は「土木」を扱う権利義務と手段を持つ中心的な存在ですから、安全確保のための具体的な進展が期待できます。
 ちょうど自著が上梓された2008年には鳥取県のまちづくりの参考書籍の一つに採用していただいたことがあり、翌年の秋には鳥取の旧市街の一方通行化の社会実験が行われた経緯もありますから、具体的な道路の再配置に関する経験も積んでいるものと思われます。

 

 本書では、自転車レーンに一項を割き(p118)、1.市街地内の幹線街路では、一方通行で往復分の独立した自転車レーンの整備、2.市街地内の路地では、自転車は車道と共用、3.市街地以外の道路では、自転車歩行者共用の道路の整備という区分を基本に据えています。

 

069-4 高架道路と掘割道路(4-3-2 高架道路はこわくない)2014/07/12

 

 東京の首都高速をはじめ、高架の自動車道路や鉄道というのは、周辺の住環境や景観に悪影響を与えると言われ、確かに陰気でなんともいやな感じのするもので、その建設には反対も多いようですが、ある地域を、どうしてもある割合の通過車両が走行する必要がある場合、むしろその通過交通が高架の道路を通る方が、周辺の住環境にとって良好な例も見つかると思います。(本書 p213:「高架道路のある町」)

 

 その町に用のない通過交通には市街地を迂回するバイパスや環状道路の整備(水平的分離)が必要で、町に用がある車両については、ほとんどの規模の町では全面的な一方通行化によって分散するだけで生活や商業と利便とのバランスは可能です。
 そうして、どうしても都心部へ向かうまとまった量の車両などを市街地内や近傍を通過させる必要がある場合、その動線を一般の生活者から垂直的に分離することを講じる必要がありますが、その場合に、高架方式にするか、掘割もしくは地下式にするかは課題になりそうです。

 

 住環境にもっとも影響が少ない方法としては首都高中央環状線のような完全な地下化が考えられますが、この場合莫大な建設費に加えて、換気や照明、監視や事故への対応など、莫大な維持費が永久に発生し続けるわけですから、首都高のような特殊な状況以外ではあまり現実的ではありません。

堺大小路
堺大小路

 そこで、残る案は高架道路にするか掘割式にするかになりますが、こうした問題を考察し始めた十年以上前までは、首都高の高架道路がもたらす暗く圧迫感のある空間を考えると、少しお金をかけてでも掘割式にするのが望ましいものと考えていましたが、掘割式の高速道路を実地に観察すると、むしろ高架道路の優位性の方が明らかになってきました。

 

 首都高速道路の形で実現する、東京の高速道路の構想は戦前からあり、内務省国土局の技官山田正男氏による昭和十三年の「山田構想」がその嚆矢とされ・・・地図を開いては大きな環状線を描いていたと言われる若き山田技官の構想・・・都市間の交通を主とし、都市内のそれを従とし、それゆえ自動車交通の分散のための大きな環状線の構築は必然であり、実現の可能性の点でも費用の点でも市街化の進んでいる地域を避けた方が進捗が早いとし、今日から見ると実にまっとうな考え方をしていた・・・山田氏は、皇居周辺の景観の維持には人一倍熱心で、建築家から猛烈な攻撃を受けた丸の内の百尺規制をかたくなに守ろうとした人物であり、皇居外苑を南北に貫通する高速道路の計画に対しても、皇居前の軟弱な地盤を省みずに地下化することを提案し・・・戦後、首都高速のルート案がほぼ確定した後に視察に行った欧州では、パリの景観を守る思想に感慨を深くし・・・セーヌ河畔に名だたる名橋の下をくぐって通過交通をやり過ごす自動車専用道が築かれ、この道路は年に一度か二度は水につかるものの、それでも都市美を維持することの方を優先していて、山田氏は、東京でも築地川や隅田川では考慮すべき手法であるという意見をパリから送って・・・築地川は干拓されて河床全体が高速道路になり、日本橋川でも川底案は否定されて高架橋になり、隅田川沿いを北上する六号線でもセーヌ川の方式は実現しませんでしたが、この川筋を通るアイデアや掘割式にして景観を保つ考え方は、それが最良かどうかはともかくその後も生き続け、横浜などでも相当の苦労の末に実現しています。(本書 p197:4-2-2 首都高とはなにか)

東名高速綾瀬バス停付近
東名高速綾瀬バス停付近

 猪瀬直樹氏の道路公団に関する研究の中では、掘割状の高速道路の上を横断する橋梁が多すぎることを問題にしていましたが、これを高速道路によってそれまでの生活圏が分断される住民の側に立って見ると、小路の連続性を確保することも当然の要求で、それを愚直に実現していくと、たとえば5mほどの幅で途中に橋脚のない30mほどの長さの橋梁が100mおきに設置されたとしても過当なものではなく、それでいて出来上がった橋梁も、轟音が鳴り響く上を綱渡りのように通り抜ける心細い小路でしかなく、川沿いの空間のようなのどかさは決して期待できません。
 加えて、夕立などで掘割が冠水しないようにするためには強制的に排水する装備も必要になり、それでも外環道の和光-大泉間のように時々冠水して通行不能になることも覚悟する必要があります。

 

 では、高架橋にした場合どんな環境になるのか、国道のバイパスとして整備された新浦和橋通りを例に、平面交差であるがゆえに横断できない不便と信号により通過容量が低下するという不合理に対して、図のような対面通行の高架橋を考えてみます。

住宅地を通過する高架道路の例(本書 p217)
住宅地を通過する高架道路の例(本書 p217)

  ここでのポイントは、地方都市の交通量を考えて、高架橋自体の車線数を最小の片側一車線7mの幅ににとどめること、高架下に通過車両がほとんどない空間にすることで、それが出来れば沿線は意外なほど静寂な空間になり、通過車両を意識することもなくどこでも横断して通り抜けることが可能な平和な街路にすることが出来ますし、高架下空間は駐車場などの静的な利用のほか、児童遊園や店舗などにも利用が可能になります。

 

 高架橋は、防音壁を入れても二階建ての住宅程度の高さで済みますから、周辺住民から見れば、幅9mの路地を挟んだお向かいに、下にピロティと車庫がある一軒の長い長屋が出来たようなもので、少なくとも十階建てのマンションなんかが出来るよりは環境の悪化は小さいと考えられます。橋の継ぎ目を丁寧になくすようにすれば、大型車の通行による振動も抑えられ、防音壁の内側には音を上方に反射するような加工が施されているので、気にならないレベルになると予想されます。
 このバイパスを通過する運転者の側から見れば、まず信号がないので平均速度も通過容量も向上し、燃費も良く、騒音も排ガスも抑えられ、制限時速を40キロ程度に抑えたとしても、十分に使いやすい道路になると考えられます。そのため、同じ52億円の総事業費内で、20mもの幅員を持つ立派な橋の建設費をうまく割り当てて、全線を幅7mの高架橋の自動車専用道にしていたら、沿線の生活に対する影響はもっと小さかったのではないかと考えられます。(本書 p217:「住宅地の高架道路」)

環七通りの高架化案(本書 p224)
環七通りの高架化案(本書 p224)

 同じような形態は、たとえば環状七号線のような幹線道路にも応用が可能です。

 

 本論からは少し離れますが、こうした構造が定着すれば、東京の環七通りなどの既存の幹線道路でも、交通容量を増大しつつ、周辺の住環境を向上させる方策も可能・・・環七通りは、総延長52km、平均の幅員は31mほど・・・例えば30kmの長さに渡って・・・高さ4m、幅15mの高架にすることを考えてみます。残された片側8mに高架下の一部2mほどを歩道として加えて、全体で10m幅の街路にすれば、建物の側に3mの歩道を確保しても、5mの幅の車道が確保されるので、バス通りとしても十分なもの・・・建設費は・・・仮に1mあたり1千万円ほどとすると、30kmで総額3000億円・・・1万5千台分の駐車スペースが創出され、これを月極駐車場や公共駐車場として一ヶ月平均4万円の収入があるとすると・・・建設費の元本だけを考えれば、40年ほどで償還できる計算・・・換気装置や24時間照明が不要な、安全で維持費のかからない優れた駐車場になります。
 これを自動車で通行する側から見ると・・・環七通りでは、世田谷区若林での交通量が1時間に4500台あまり・・・首都高速都心環状線の港区芝では7400台ですから、完全に立体交差化が進めば交通容量はここまで増やすことが出来る可能性があります。(本書 p224:「大都市幹線街路の高架化」)

 

 

追記 2015/03/15

 

高速道路をまたぐ跨道橋に関しては、点検が遅れているという記事がありました。

跨道橋は高速道路の設備ではなく、市町村道の扱いになるのだとすると、むやみに増やすと自治体の責任と負担が増えるだけの結果になりそうです。

崩落などとなると信じられないほどの大きな事故になります。

 

追記2 2016/05/13

 

 先日の熊本の地震では、3本の跨道橋が崩落したそうです。

 高速道路本体は大丈夫だったようです。

 

 

083-4 首都高とはなにか? 2017/7/21

 

 国交省が日本橋の上を覆う首都高の地下化に動き始めたそうなので、10年ほど前に書いた話をそのまま載せてみたいと思います。

 少なくとも当時はほとんど知られていなかった話を紹介するために、非常に冗長な文章になっていますが、その辺はご容赦いただければと思います。

 

 

4-2-2【首都高とはなにか】

 東京には首都高速道路という道路があり、ビル群の間を縫うように通り抜ける高架の道路は、子供の頃に絵本によく描かれていた未来都市の想像図そのままで、近代都市東京を象徴すると言ってよいほど、特徴のある風景を形作っています。

 景観の上で、これを面白いと考える人も多いようで、よく知られているところでは、ソ連時代のロシアのタルコフスキー監督の映画「惑星ソラリス」(1972年)で、未来都市の映像として東京の首都高速4号線を走る車から撮影された長回しの映像が使われていて、懐かしい東京の風景を見ることができます。

 大都市の都心部に建設された高架道路というのは、世界的に見ても珍しいものであるようで、ことに皇居の千鳥が淵や江戸橋インターに見られる壮大な構造物は、戦後の東京を象徴するような風景としてよく紹介されていました。小学生の頃、初めて千鳥が淵のお濠の中にダイビングするような構造の首都高速道路の姿を実際に見たときは、子供ながら果たしてそこまでする必要があるのか疑問に感じたものですが、あるいはその直感は正しかったのか、最近になってこうした存在を景観の点で問題にする動きも大きくなってきました。

 もちろん、たとえば歴史ある日本橋の上を高速道路で覆うような乱暴な開発に関しては古くから批判はあったようですが、問題は橋だけにとどまらないことや、日本橋界隈が古くからの商人町であることもあるのか、強い抵抗を示すよりは、一種の諦観に似た感覚のほうが支配的であったようです。

 

 獅子文六は、

  この橋が大変なことになったもので‥‥

  恐竜のような、コンクリートの大架橋が、日本橋の上に跨ってしまったので、

  もう目も見えなければ、呼吸もできないといった症状である。あんなミジメな

  状態の日本橋に対して、地許はよく黙っているものである‥‥

  今の日本橋ができたのは、明治四十四年だというが、その立派さに驚いた記憶

  がある‥‥

  ところが、突然に、あの近代的恐竜の出現である。よく思い切って、あんな

  工事ができたものと、感心するくらいだが、橋の存在は当然無視されたから、

  今の状態になるのは、当然である。

  もうこうなったら、日本橋の方で、いさぎよく橋の名を辞退して、水上の道路

  と化する外ない。つまり、できるだけ単純直截な様式の橋にして、あの青銅の

  装飾のごときは、徳川慶喜公の題字と共に、しかるべき記念の場所に移すので

  ある。それは日本橋の消滅を意味するが、今の醜態にまさること万々だろう。

  高速道路下の薄暗いところで、ションボリと、まるで、名家の令嬢が、辻君に

  なったような姿を、さらすよりも、まだ気がきいている。現状だけは、どうに

  も我慢がならない。(ⅰ)

 

と慨嘆し、東京の歴史的な町を破壊しておきながら、歴史的な名前にだけは拘るような感覚を嘲笑しているようにも見えますが、小泉内閣で日本橋地下化議論が持ち上がったときに、石原都知事が述べた見解もおおむね同じものでした。

 

 少し歴史を遡ってみますと、首都高速道路の形で実現する、東京の市街地内の高速道路の構想は戦前からあり、内務省国土局の技官山田正男氏による昭和十三年の「山田構想」がその嚆矢とされ、次いで東京都の技官であった石川栄耀氏の手になる昭和十五年の「石川構想」であり、いずれも軍事輸送を中心とした構想であったと言われます(ⅱ)。両者の構想で大きく異なるのは、山田氏が戦前から「大環状線」を志向していたのに対して、石川氏は「東京が東京たる意味は半径0.5キロの都心圏」と断じて、都心部(具体的には銀座を中心とした地域)に小さな環状線を作り、これと各放射線とを直結しようと構想していたようです。

 この二人は同じ東大土木科の出身で、先輩である石川氏の後任として山田氏が東京都に移ったりもした関係で、二人ながら土木や都市計画の重鎮として君臨します。浪漫主義的な石川氏に対して、山田氏は現実主義的な実行の人であると評され(ⅱ)、二人のヴィジョンの違いは、その後の首都高のあり方に大きな影響を与えたとも考えられます。

 地図を開いては大きな環状線を描いていたとも言われる若き山田技官の構想は、自動車輸送の驚異的な発展に対応し、政治、軍事、産業上の観点を重視し、高速道路の役割としては、都市間の交通を主とし、都市内のそれを従とし、それゆえ自動車交通の分散が重要な課題になるため、大きな環状線の構築は必然であり、同時に、実現の可能性の点でも費用の点でも、市街化の進んでいる地域を避けた方が進捗が早いという(ⅱ)、今日から見ると実にまっとうな考え方をしていたことがわかります。

 実際に提示された構想では、詳細なルートこそ示されていないものの、東京市の旧十五区の内の山の手地区(芝、麻布、赤坂、四谷、牛込、小石川、本郷の各区)を通り、西には大きく膨らんで、当時は近郊といえるような地域を通っているのに対して、下町地区では神田、日本橋、京橋という都心部商業地区を貫通して芝にいたる環状路線を描いています。そのため、市街地を完全にバイパスするようなものではなく、ちょうど皇居を中心ととらえて、バイパス的要素と都市内道路的な要素との折衷案であったと考えられますし、交通量の予測でも日本橋などの都心地域の交通量は、山の手地域の二倍ほどが想定されています(ⅲ)。

 

 山田氏は、皇居周辺の景観の維持には人一倍熱心であったといわれ、建築家から猛烈な攻撃を受けた皇居前の丸の内のビル群の百尺規制をかたくなに守ろうとした人物であり、事実山田氏の構想では首都高速が皇居の景観に抵触することはありませんし、このほかに皇居外苑を南北に貫通する高速道路の計画案では、皇居前の軟弱な地盤を省みずに地下化することを提案しています(ⅳ)。

 戦後、首都高速のルート案がほぼ確定した後に視察に行った欧州では、パリの景観を守る思想に特に感慨を深くしたようで、景観を売り物にするパリには都市高速というものはなく、セーヌ河畔には名だたる名橋の下をくぐって通過交通をやり過ごす自動車専用道が築かれていますが、この道路は年に一度か二度は水につかるものの、それでも都市美を維持することの方を優先していて、山田氏は、その考え方に感心し、東京でも築地川や隅田川では考慮すべき手法であるという意見をパリから送っています(ⅴ)。現実には、東京の小河川では十分な幅員がとれず、築地川は干拓されて河床全体が高速道路になり、もう少し広い日本橋川でも川底案は否定されて高架橋になり、百メートル以上の幅のある隅田川沿いを北上する六号線でもセーヌ川の方式は実現しませんでしたが、この川筋を通るアイデアや掘割式にして景観を保つ考え方は、それが最良かどうかはともかくその後も生き続け、横浜などでは相当の苦労の末に実現しています(ⅵ)。

 

 これに対して、石川氏の戦前の構想は、都心部をごく小さい範囲ととらえ、都市の内容も交通網も都心を中心になされているのであり、山田構想のように旧市域の外周部で止めてしまえば、そこから都心までの時間のロスが大きいという意見で、都心部に環状線というよりは交差点のようなものを構築し、これと各方面とをまっすぐ結ぶつもりであったようです。

 石川氏がとりわけ熱心だったのは、高架道路と周辺民家との一体化、すなわち、集合住宅の陸屋根にあたる部分に道路を作り、地上の交通や歩行者と完全に立体交差させるもので、これは銀座の新数寄屋橋でスカイセンターの名でわずか一キロの延長で実現し、世界に先んじたオリジナルであると自賛しています(ⅱ)。実は、石川構想よりも前の一九三二年(昭和七年)に、ル・コルビュジエがアルジェリアのアルジェ市に提案した計画(正式な計画の要請はなく、いわば勝手に送りつけたプランのようですが)にも、高速道路を集合住宅と一体化させ、高架下にスラム街のアラブ人を住まわせるというアイデアがあり(ⅶ)、山田氏の構想でも高架下を店舗や倉庫などに貸与する案がありますから(ⅱ)、誰が考えても似たようなものには行き着くものかも知れませんし、石川氏の場合は全体の高速道路網の構築よりは、自身のイメージの実現に、より情熱を傾けていたのではないかとも言われます。

 

 石川氏は、後に東京都の建設局長から早稲田大学の教授に転じますが、ちょっと面白い逸話も残っています。戦後の復興作業当時、内務省出身の安井誠一郎都知事は、社会資本整備に関する長期的ヴィジョンや、都市計画に関する思想と見識を欠いていたと言われ、目的税である都市計画税を他に流用して、本来の都市計画事業にはブレーキをかけておきながら、本来は都市計画とは関係のない清掃事業であるガラ(戦災で出た瓦礫や灰燼)の処理を、都市計画の責任者である石川氏に押し付けます。区画整理事業の行われた地域では、区画整理の一環としてガラも処分されたのに対して、区画整理が行われなかった都心部ではガラの処理ができず、昭和通りなどのグリーンベルトにうずたかく積み上げられていたため、GHQが処理を催促し、安井知事は費用をかけない形でこれを処理するように石川氏に命じますが、石川氏がこれに対して出したプランは、日本橋区や京橋区の都心部の中小河川を「不用河川」としてガラで埋め立て、出来上がった土地を売却するというもので、安井知事はこれ以上ない名案と感激し、東京駅八重洲の外濠を手始めに、三年ほどの間に三十間堀川、龍閑川、浜町川などが埋め立てられ、昭和四十年代までに水の都東京の都心部の水路、江戸期以来の水辺の空間はあらかた姿を消しました(ⅷ)。

 石川氏は、元来は掘割や河川の景色を「都市の顔」と断ずるほど、水辺の空間を愛した人だそうですが(ⅱ)、そうした美意識とは正反対の提案をしたということになります。埋め立てられた地面は売却され、一部は前述の石川氏が発案した新数寄屋橋スカイセンターとして東京高速道路線の用地になり、これは当初道路としては認められず、のちに山田氏によって首都高速道路の体系に組み入れられます。この道路自体は、地上の晴海通りや外堀通りの騒々しさに比べると、そこに道路があることすら気づかないほどのものですが、一部はデパートになってはいるものの、利用できる空間はせいぜい二階建て分程度で、建て替えもままならないので、地価の高い地域の空間利用としては少し中途半端な結果になっていて、貴重な水辺空間を埋め立ててまでして作ったほどの効果があったかというとかなり疑問が残るものです。

 

 また、石川氏は戦後の東京の都市計画の中心人物ですが、その計画にしても戦前から暖めていた構想を実現する好機と見たのか、自らのプランをそのまま法定都市計画としてしまいます。

 その要諦は、広幅員街路と緑地帯とを縦横に廻らし、これによって既成市街地をブロックに分割し、これまでの地縁を壊し、デモクラシーを実現するための新しいコミュニティ単位を作ることを企図していたのだそうで(ⅷ)、そうした意味でのデモクラシーの解釈が当時の風潮であることを割り引いても、役人としての分を逸脱した思い上がりがあったように見えます。このように、周囲の理解を得る前に、機に乗じて自身の夢を実現したがるこの傾向を「浪漫主義的」と表現することが不可能でないとしても、確固たる信念を欠いたオポチュニストという面の方が強く感じられます。

 

 戦前には、これら二人の構想があったものの、具体的な計画が始まるのは戦後のことで、満州から帰った近藤謙三郎という人がその中心になります。

 この人の構想は簡明直截なもので、石川氏の構想と同様に、都心部に小さな環状線を築く構想で、銀座を囲むような小環状線を主として、明治通りにほぼ相当する地域に補助的な大環状線はあるものの、基本的には虎ノ門と上野末広町にジャンクションを設けた七つの放射道路が中心の計画で、これが現在の首都高速の路線の原型になったようです。 結局、銀座の小環状も末広町のジャンクションもなくなり、虎ノ門の四辻のジャンクションを中心として、次々に枝分かれして各方面へ向うプランが出されます。その中で、北へ向う路線は皇居前を高架橋で抜けるもので、前述の山田氏の景観を考えた地下化案に対しては、

 

  都民の為に必要で、経済的ならそこに美がある。家康がお『家』のためにつくった

  濠、石垣がどうして美観か(ⅱ)

 

と反論したりしていますから、これが当時の風潮や、あるいは戦前から連綿と続く内務省技官の感覚であったのかもしれません。

 

 最終的には、皇居の美観を強く意識した山田氏の尽力で、皇居の前ではなく西側を廻る形になり、一号線とともに現在の都心環状線が形成されますが(図四・六)、そもそもの発想が虎ノ門付近を中心に、各方面へ最短距離で向うことを前提としていたことは、そのままルートにも反映されていると考えられ、本来の都心部を南北に貫く一号線を除くと、実は霞ヶ関から各方面への最短ルートであると見ることも可能です。そうして、そのためには皇居の周りを高速道路で囲むことすら辞さないというのが、路線確定の根底にあったと見て良いと思いますから、千鳥が淵の堀上の道路が与えた奇異な印象も、そうした霞ヶ関を中心とした意識と、皇居の景観への配慮とのぎりぎりの相克の結果であると見て良いのかもしれません。

 

 首都高速のこうしたありかたが良くないことであったかどうか、なんとも言えませんが、当時の意識や、首都高速道路の利用者として想定された人々の行動を考えても、霞ヶ関を中心に捉えて、各方面への最短ルートを建設するという考えはありえたと思いますし、そのためには皇居外苑に高架橋を架すこともありえたほどですから、庶民の商業地に過ぎない日本橋の上を高速道路が跨ぐくらいは物の数ではなく、十分に経済的であり、それゆえ「美」でもあるといってよかったのだと思います。

 首都高速という道路が、このように地上で渋滞にあえぐ庶民の頭の上を飛び越えていく特権的な道路であるという感覚は、少なくともバブルの前までは残っていたと考えられ、国賓の来日などがあると、羽田から赤坂の迎賓館脇までで大規模な入口閉鎖が行われるなどということもたびたびでした。

 

 そういう視点で見ると、本来の都心部を貫通する一号線も、霞ヶ関に無関係なクルマを迂回させるためのバイパスに過ぎないと見ることも可能で、また例えば、六号と七号と九号とが箱崎で一本に絞られて渋滞するのも、庶民の動線からすれば不合理な構造ですが、霞ヶ関の側から眺めれば無駄のない構造とも言え、そもそも縁の薄い下町方面に関しては十分に顧慮されることすらなかったのかもしれません。

 

 都心環状線の霞ヶ関と銀座の間の少し狭くなったところに短絡線を建設して全体を「8」の字状にし、環状線の通過効率を向上させる案なども複数提案されていますが(ⅱ、ⅸ、ⅹ)、これも首都高速の成り立ちを考えれば、建設の意義はあまりないことになります。環状線が狭くなっているのは、霞ヶ関に寄るために迂回しているだけで、せっかくこの付近だけは地下化されて環境への配慮は行き届いているわけですし、そもそも霞ヶ関から銀座へ行くのに高速を使う必要はないからです。

 

 人口が二百万人ほどのパリ市の市域は、東京の山手線の内側とほぼ同じ面積であるといわれますから、十五区時代の東京の旧市街とも同程度ということになりますが、戦後パリに都市内高速道路を建設する計画が起こったときには、フランスの技術者が首都高速を視察した結果、市内高速道路の建設を諦めたという話もありますから(ⅱ)、欧州では珍しいほどの中央官庁に権力が集中しているフランスでも、さすがにそこまではできなかったようです。

 

 首都高速道路の料金については開業以来何度も値上げがなされ、バブルの時代に普通車料金が七〇〇円になったときにはマスコミにも取り上げられて大きな論争も巻き起こしましたが、実質的には物価に比べれば、比較的優等生とも言える新聞の購読料や米の価格に比べても値上がりの割合は小さく、むしろ一貫して安くなり続けてきたことがわかりますから(一一)、この道路が、庶民でも利用できるようになった結果、他の都市どうしを結ぶ大型貨物の通過用に使われるようになったのは理の当然で、本来の位置づけに戻したければ利用料金を千五百円ほどにするほうが合理的で、実際にそれでもかなりの利用者が期待されます。

 

 この首都高速のあり方から、教訓めいたものを導き出そうとすると、まず道路であれなんであれ、人々はどうしても自分の立場からの視野というバイアスからなかなか自由にはなれないこと、それは悪気があってもなくても、たとえ優秀な技術者であっても同じで、多くの場合計画者は役人ですから、自分の動線を中心に、どうしても役所の立地や都合を優先したオヤジ臭い発想で計画を進めがちであることで、同じ東京の中心といっても霞ヶ関と日本橋とでは自ずとその重み付けが異なっていたはずで、その結果が今の首都高速のルートであるということになります。

 そうして、その発想がそのまま具現化してしまったために、発想の転換が必要な環状線の建設は大幅に遅れ、これが都市としての東京に対するヴィジョンをさらに偏狭にする結果につながったと考えられること、それはバブルののちも顧みられることなく続いていると考えられます。

 

 歴史のイフとして、もし山田氏の所期の構想どおりに大きな環状線ができていたら、その後の東京の広がり方は大きく変わっていたと考えられます。その環状線は、旧市街十五区の辺縁でもよいでしょうし、明治通りでもよかったと思いますが、例えば首都高速の建設の際には、甲州街道や大山街道のような歴史のある街道を破壊して巨大な街路に高架橋を配することが可能であったのですから、復興街路として建設された明治通りならば高架の高速道路の建設はそれほど難しくはなかったはずです。

 もしそうなっていれば、クルマで出勤するエラい人ほど、環状線に近い「便利」な地域にビジネスの立地上のフロンティアを発見していたはずですし、一方で旧市街はちょうどパリと同じように古い町並みを維持しつつ、温和な形で生活と商業活動とを両立させるような方策が考えられ、仮に都心部を貫通する高速道路がひとたび日本橋を高架橋で覆ったとしても、これを単純に廃止することで景観を復元するような発想も可能であったと想像されます。

 けれども、その実現には、都市の中に埋没せずにこれを俯瞰するようなよそ者的な冷徹な目と同時に、市井の暮らしに対する洞察や配慮が必要であったと思われ、少なくとも戦後の東京においては、そうした発想は実現せず、冒頭の山田氏の発言などはその発想の限界を端的に示すものと考えられます。

 

ⅰ 獅子文六『ちんちん電車』(河出文庫)

ⅱ(財)日本文化会議『都市の景観形成と首都高速道路』(都市の景観形成と首都高速道路に関する調査研究委員会報告書)

ⅲ 山田正男「東京高速道路網計画案概要」(昭和一三年)/『時の流れ都市の流れ』(鹿島研究所出版会)

ⅳ 山田正男「宮城外苑地下道計画案に就いて」(昭和一四年)/『時の流れ都市の流れ』(鹿島研究所出版会)

ⅴ 山田正男「欧州諸都市見聞記」(昭和三四年)/『時の流れ都市の流れ』(鹿島研究所出版会)

ⅵ 田村明『都市ヨコハマをつくる ~実践的まちづくり手法~』(中公新書)

ⅶ 東秀紀『荷風とル・コルビュジエのパリ』(新潮選書)

ⅷ 越澤明『復興計画 ~幕末・明治の大火から 阪神・淡路大震災まで~』(中公新書)

ⅸ 東京都心における首都高速道路のあり方委員会(委員長:中村英夫武蔵工大学長)『「東京都心における首都高速道路のあり方」についての提言』(平成一四年)

ⅹ 清水草一『首都高はなぜ渋滞するのか!? ~愛すべき欠陥ハイウェイ網への提言~』(三推社・講談社)

11 首都高速道路公団『首都高速道路公団三十年史〔資料年表〕』(首都高速道路公団)

 

アムステルダム (p113)/ Amsterdam
アムステルダム (p113)/ Amsterdam

005-3 街路に必要な機能を一列に並べる

 

 日本では、たとえば「バリアフリー」という言葉が流行れば、 専門家と称するバリアフリーおタクが現れて、徹底的に バリアフリーだけを推し進めて利権化してしまうのがオチですが、 歩道のバリアフリーも自転車レーンも、駐車レーンも街路樹も 道路標識も駐輪場も、合理的に配置することは可能です。

 日本の工業製品などは、多くの機能を合理的に配置して、 小さなボディに詰め込むのが上手なのですが。  

(p113:3 街路をつくる /3-2 路上駐車レーン /3-2-2 緑の駐車帯)

 

本書p185
本書p185

053-4 恒久対面通行の高速道路 2012/8/4

 

 関越自動車道では、4月29日にツアーバスが運転手の居眠りで防音壁に激突して、多くの乗客が亡くなる事故が藤岡であり、8月3日にはパンクで停車したトラックに乗用車が追突して炎上する痛ましい事故が小千谷であったばかりですが、どちらも運行管理面の不備や当事者の人為的な責任に帰す方向に進んでいるものの、道路構造上の問題に関しても気になる部分があります。
 というのも、現行の高速道路の構造を元に「恒久対面通行の高速道路」を構想する際には、比較的新しい設計思想を導入したと言われた関越自動車道を参考にしつつも、この二つの大きな事故のようなケースを想定して、細部の処理について腐心した経緯があるからです。

 

 現行の地方の高速道路路線は、最終的には片側二車線道路(以下「フル規格」とします)を目指しながら、上り線だけを建設して暫定的に対面通行とするケースが多く、制限時速が70キロ以下になる上、遅いクルマがいても追い越しができないので、料金に見合っただけの利用価値がないと言う評価が多いようです。この場合、料金がフル規格と同じであることもひとつの問題ですが、料金は車線数ではなく利用価値で決める必要があり、とりあえずは別の問題になります。車線数に関しては、将来的に片側二車線にする必要があるのか注意する必要があり、二車化の可能性を残しながらも、いちおう恒久的に一車線で建設し、将来的に拡幅が必要になった場合にのみ、下り線を別ルートとして建設した方が合理的なことになりそうです。
   ・・・

 具体的には、図4・3のAのように、一般の暫定開業よりは少し広い15m程度の幅員の恒久対面通行路線を考え、一部に追い越し車線のある区間を設けるのが良いと考えられます。関越自動車道以降に建設された高速道路では、中央分離帯側の縁石に代わって図中Bのように十分な路肩が設けられるようになったようですから、そのまま上下線を分離した構造(図中C)を考えれば、恒久対面通行の道路の構造に近くなり、将来的にフル規格にする際には図中Cのような構造の下り線を建設することになります。対面通行において、反対車線への飛び出しを防止するために中央帯に剛性防護柵を設け、その場合、事故車が道路をふさがないように、表面に段差のない防護柵が望ましいと考えられ、それでも追突事故は心配ですから、制限時速はせいぜい80キロ以下、先が見通しにくい道路ではさらに規制が必要になりますが、条件としてフル規格の高速道路よりも大きく劣ることにはならないと考えられます。(4-1-4:これからの高速道路/恒久対面通行の高速道路 p184)

本書p185
本書p185

 実際には、その関越道でも所期の設計思想が維持されなくなった可能性があり、藤岡の事故では、おそらく後から追加されたと思われる防音壁がガードレールよりも張り出して設置されたことが事故を大きくした一番の原因で、小千谷の事故の場合は、右カーブでありながら追い越し車線側の路肩が十分でない箇所にたまたま停車したことが事故の遠因になった可能性があると見ています。

 

 両側が剛性防護柵に囲まれていると、事故の際に警察車両などがたどり着けないことも考えられるので、図4・4のような構造の管理車両用の短絡路を適宜設けても良いと考えています。そうして、このような構造で建設費を抑制した「無料」の「高速道路」を想定すれば、まとまった長さの路線の必要はなく、バイパスや渋滞対策、山越えの新道などの形で、交通の隘路を優先して部分的に開業するだけでも効果があります。(本書 p185)

 

 恒久対面通行の高速道路の建設は、仮に実現したとしても先の話になりますし、実際の設計にはさらに多くの技術的な判断が必要になるはずですが、高速走行時の事故を最小限にとどめるという設計コンセプトから導かれるアイデアの一つとして、こういう、一見どうでも良さそうに見える細部の処理に関しても言及しておくことは重要で、結局はそうした不断の改良の積み重ねによって、事故の可能性を減らしていくしかありません。
 ただ、そのためには過去の設計の不備を認めて改良のための予算を積み上げる必要があるので、その点がなかなか難しいのかもしれません。何かと物議をかもしながらも進められることになった第二東名・名神の最大の問題点は、東名・名神高速の「改良」の名目で、10兆円もの予算が民主的なプロセスを経ずに通ってしまったことでしたから、反省したり改良したりすることを厭い、ともかく新しいものに飛びつきたがる幼児性からの脱却も必要になりそうです。

 

055-4 人、クルマ、電車の動線の時間的シェア 2012/10/08

 

 人、クルマ、電車の動線分離の三方式

 市街地内で、クルマ、電車、人が互いにぶつかることなく活動するには、それぞれを時間的あるいは空間的に分離しなければなりません。

 平面交差である横断歩道や踏み切りは、それぞれの動線が交錯する共通空間を時間的に分離し、シェアし合うことでぶつからずに済んでいるので、どちらかあるいは両方が時間的な制約を受けることになります。

 空間的な分離としては、歩道と車道の分離、専用軌道を走る電車、バイパス道路による「迂回」などの「水平的な分離」がありますが、水平方向だけでは完全に分離することが出来ない場合が多く、また「迂回」という水平方向の制約を受けることになります。

 もうひとつ「垂直」方向に分離する「立体交差」の場合は、どちらかの垂直方向の位置が制約を受け、上下に移動しなければならないことになります。

 これらのうちでどの方法が優れているということはなく、それぞれを適宜に組み合わせることで、限られた予算と空間の下で効率と安全とを両立させることになりますが、都市という水平的制約が大きい領域の中で、なるべく時間的な制約を受けないように活動しようとしたら、垂直方向の分離は重要な要素になります。(本書 p209)

オーストラリア ゴールドコースト(p87)/Goldcoast Australia
オーストラリア ゴールドコースト(p87)/Goldcoast Australia

 これは、発明や発見というものでもなく、高架道路や高架鉄道の位置づけを説明するために整理してみただけのものですが、日本の土木工学や交通工学の書物の中にもこうした分類を見かけたことがないことを考え合わせると、今の交通工学に欠けた視点である可能性があり、同時にこれ以外の分類が存在しないわけですから、一般の人々でもこの分類に着目することで、街づくりにかかわる多くの問題に関する解決の道筋を見つけることが可能になるかもしれません。

 本書では便宜上「三方式」としていますが、実際には、線状に移動するすべての交通主体がぶつからずに済む条件は、「時間的」に分離(シェア)もしくは「空間的」に分離する、大きく2方式であり、空間的分離は「垂直」と「水平」とに細分化され、時間的シェアに関しては、互いが移動する方向が「順方向」である場合、「交錯(あるいは直交)」する場合、「逆方向」である場合での条件の違いを考えると理解しやすく、応用の可能性が広がるのではないかと考えています。

交差点の形態による交錯点の違い
交差点の形態による交錯点の違い

 たとえば、高速道路はクルマの移動に関しては非常に安全で効率が良い道路で、その技術的な要諦は、他の交通との「垂直的分離」と、往路と復路との「水平的分離」がなされていることですが、前後のクルマどうしの関係で言えば、実は時間的にシェアしているのであり、ただ、それが分岐や合流も含めて、すべて「順方向」だけで成り立ち、「交錯」と「逆方向」とが排除されるように設計されていることが特長と言えます(本書 p91)

 

 順方向であれば、他の車両との速度差は小さく、速度を落とさずに合流することも可能になり、交通容量は、戦前の数式(本書 p73)によれば、一車線あたり最大で1時間に1800台ほど、時速100kmでも700台(制動能力が高まった現在ではさらに増えているはずですが)にも上りますが、これに交錯や逆方向の時間的シェアが入り始めると、格段に危険性が増すと同時に効率が低下します。

 図のように、従来型の交差点では16点に及ぶ交錯点があり、規制なしに個々の運転者の目視だけで安全を保つことは難しいことが分かりますが、ラウンドアバウトでは順方向の合流だけに統一されることから、優先関係などの規制だけで安全に交通流を処理することが可能で、通過容量は環状路で律速されますが、上述の通り1時間で最大1800台前後が期待できます。

江ノ島電鉄線の標準的ダイヤ
江ノ島電鉄線の標準的ダイヤ

 これに対して、逆方向で時間的にシェアする必要が生じると、効率は大きく低下します。
 たとえば、山間部の交通量がそれほどでもない道路でも、工事などで片側交互通行の箇所がひとつあるだけで、大きな渋滞が生じることがありますが、これはある長さの区間を、逆方向の交通流どうしが時間的にシェアしているからで、片側通行の区間が長くなるほど、規制が必要になり、待たされる時間は長く、通過容量は低下する方向に向かいます。

 

 同じことは、鉄道の単線と複線との関係にも言え、順方向の時間的シェアのみで構成される複線ならば山手線や銀座線、あるいは東海道新幹線のような高密度での運行が可能なのに対して、単線の場合はケーブルカーや江ノ電のように交差する箇所が固定された短い区間の運行で初めて電車らしい頻度になり、それでも輸送密度は限られ、単線区間が長くなるほど効率は低下します。
 そのため、単線と複線との輸送能力は、運行形態にもよるものの、2倍ではなく3~10倍ほどにもなるはずなので、ある程度の需要がある場合には複線化事業は投資効率のよいものになるはずです。

 

 こうした見方は、街路の効率を考えるのにも応用できます。

 対面通行で車道の全幅が10m程度あれば、駐車車両が一台あっても対向車が寄ってくれれば効率は低下せず、両側に駐車車両があって初めて逆方向でのシェアが生じて容量が低下します。
 片側2車線の街路の場合は、対向車はもちろん内側のレーンの車両が寄ってくれることも期待できないので、駐車車両があるだけで容量は半分に低下するため、この辺が路上駐車を徹底的に排除する施策の論拠にもなりますが、沿線の生活の質を落とすばかりでタクシーの停車でも効率が低下するのですから効果は小さく、もともと順方向の時間的シェアだけなら、1車線で1時間に1800台の通過容量が確保できるのですから、むしろそれ生かすことができないボトルネックである交差点の効率を改良する方が効果的です(オランダでは、幹線街路でも片側一車線で駐車レーンが設けられ、それが交差点の前後だけ2車線になって、通過容量を拡大する工夫が見られますから、各要素区間ごとの容量に応じた配置であることが分かります)。

一方通行街路の交差点における交錯点
一方通行街路の交差点における交錯点

 ここまでは、車両どうしの時間的シェアですが、これに車両と歩行者や自転車との「交錯」の要素を加えると、問題はやや複雑になり、実は本書内での重要な「発明」である「一方通行システム」、さらには自転車レーンの交差点での処理に関する「発明」も(本書 p127)、こうした時間的シェアの安全と効率とを両立させるための方法のひとつであり、その場合の交錯点を図式化すると右図のような形になります。

 

 この場合、さすがにクルマだけの時の最大1800台という数字は不可能であるものの、それでも十分な通過容量を保つことは可能で、それでは足りないというような町の場合は、自動車交通の需要をもたらす県庁などを郊外に移転させて、代わりに自動車交通負荷の小さい大学などを誘致する施策も効果的です。

 

016-3 一方通行システム  2011/5/5

市街地一方通行化の例/ One Way Traffic System
市街地一方通行化の例/ One Way Traffic System

 市街地内の街路は、小さな村であれ、大都市と言われる都市であれ、あるいはバイパスの整備された町であれ、通過交通の多い町であれ、「一方通行システム」の導入が最も重要で、まずは一対の一方通行路を整備することから始まり、いずれは図のように市街地全体の主要な街路を一方通行路に構成し直すことが非常に効果的であると考えています(本書 p67)

 それと同時に、制限速度を時速30km程度に抑えることで、事故の危険性を抑制しつつ、通過容量を増やすことも可能になります(本書 p73)

横浜 関内/Kannai, Yokohama
横浜 関内/Kannai, Yokohama

 これによって、市街地内には信号機が不要になり、無駄な信号待ち時間もなくなりますから、これらの道路がすべて対面通行であった場合に比べても通過容量は増えることが期待され、たとえ時速50km制限を時速30km制限にしても目的地への到達時間は早くなります。

 対面通行を一方通行にした分、少なくとも7mほどは必要だった車道は3mで済むことになり、空いた分を歩道や自転車レーン、駐車レーンなどに転用できます。
 そうして、現行の市街地で道路の拡張を伴うような大規模な都市再開発は不要になり、今の街並みのまま安全で快適な街に変えていくことが可能になります。

 

072-4 3mかさ上げ型ラウンドアバウト(moundabout)実現に向けての朗報 2014/11/2

 

 郊外や田園地域の交叉点を、車道を3mほどかさ上げしつつ、並行する歩道兼自転車道を車道の下をくぐらせたタイプのラウンドアバウト(moundabout)を考案し、これを安全性や効率や経費を考えて究極の交叉点として、自身のイチ押しの発明品として紹介しましたが、最近になってようやく、オランダでは自著の上梓(2008年)よりも前にすでに公に提唱されていて、自身の発明には当たらないものであることがわかりました。

 

 まだ実施例などは確認できていませんが、"CROW" というオランダの自転車の安全を推進する団体が2007年に発行した、自転車レーンの設計マニュアルの中に、理想的には車道との平面交差をなくすことが好ましく、その中では自転車道を車道の下を通すのが自転車の上下動の負担が小さくてよい、とあり、これを紹介してくれた方のブログでは、このタイプを最尖端の第五世代として、日本に導入されようとしているのは第二世代に当たるとしています。

 日本の「交通工学研究会」という学会と傘下の業界の代表者による団体が調べた例の中にはオランダは含まれておらず、つまり、オランダの実例に触れた人から見れば、日本のラウンドアバウトはこれから第二世代の導入を始めて、追々進化させて第五世代まで進めることになりますが、一部の学者や技官が下手なプライドを捨てることさえできれば、いきなり第五世代から導入することも可能で、それがすでに2007年の段階で「公知」であったことが分かったことは、導入へ向かっては朗報であると言えますし、豊富な道路予算をつぎ込むことができれば、日本が実施例において尖端を行くことも可能になります。

 

 その導入の際に、下をくぐる歩道兼自転車道にどれだけの高さが必要になるかについては十分な考察が必要ですから、ちょうどこの機会に自身が集めた実例を紹介しておきます。

 

左上から、

美濃鵜沼(高さ制限2.1m/上は国道21号)、英国 スティヴネッジ、浦和、

半田(1.2m/武豊線)、鎌倉(2.1m/横須賀線)、フランス ダンケルク、

自由が丘(2.2m/東急東横線)、大阪十三(1.8m/阪急電車)、大和今井町(2.1m/桜井線)、

山科(2.3m/東海道本線)、東川口(武蔵野線)、キャンベラ、

遠州森(2.6m/天竜浜名湖鉄道)、南浦和(武蔵野線)、千駄ヶ谷(1.7m/中央線)、

アムステルダム、小田原(2.3m/小田急線)、川原湯温泉(吾妻線)

 

 市街地内で、クルマ、電車、人が互いにぶつかることなく活動するには、それぞれを時間的あるいは空間的に分離・・・都市という水平的制約が大きい領域の中で、なるべく時間的な制約を受けないように活動しようとしたら、垂直方向の分離は重要・・・その意味では、いろいろと問題が多いとされる横断歩道橋も、重くて上下の動きが苦手な自動車が地べたを通り、軽くて機動性のある歩行者が階段を昇り降りするという点でひとつの合理性を持っていて・・・自動車と歩行者とを垂直方向に分離して交差する条件のまま、純粋に人が階段を昇り降りする量を減らそうとしたら、車道の上を越えるよりは人が下をくぐる方が有利・・・歩道橋の橋桁の路面は二階よりも高い5m以上になるのに対して、人が下をくぐる場合は、車道の橋桁の厚みに加えて、人が通れるだけの高さを確保できれば良く、国土交通省の省令では、歩行者や自転車が通る空間の高さは、2.5m程度を確保することになっていますが、道路の橋桁の厚みを1mとしても、合計で3.5mの昇り降りで済みます。
 では、歩行者には2.5mの高さが必要なのか、歩行者の安全やバリアフリー、建設費や実現の可能性、道路交通ばかりでなく鉄道駅や開かずの踏み切りなどを考えるとバカに出来ない問題・・・おおむね2m程度の高さがあれば歩行者や自転車は問題なく通り抜けられ、子供を中心とすればさらに低くすることができ、そうすれば、人が通る路面と、クルマや電車が通る路面との高低差は2.5~3mあれば十分になります。
 そのため、平地を走る道路であれば、車道の側が2mだけ登り、歩道の側が0.5~1mだけ下がれば「立体交差」が可能になり、鉄道であれば、2mの高さの盛土の上を通るようにするだけで、ある区間では踏み切りを全廃することも可能になります。
(本書 4-3-1:「人が通る道にはどれだけの高さが必要か」p209)

 

 本書で示した6つの例を含む16の実例を見ても、車道の高さが3m程度でも、歩道として十分な高さが確保されますし、写真を眺めただけでも、車道と平面交差する場合の緊張感とは異なる、のどかで平和な空気が歩道の側に流れるのを感じることができると思います。
 もちろん、自動車の側に事故があっても、その影響が歩道に及ぶことがないように、十分な高さと強度を持った防護壁を築くことは必須です。

 

東京 白山/ Hakusan, Tokyo
東京 白山/ Hakusan, Tokyo

037-3 自転車レーンに関する警察庁の通達  2011/11/12

 

 重要な問題なので、改めて一項を設けました。

 

・合理的な方向性
 自動車や携帯電話などの多くの工業製品が、ある種の合理的な形状に収斂してきたのと同様に、国の政策も技術的に合理的な方向へ向かわざるを得ないと考えれば、低成長下の街路のあり方にもある程度の合理的な方向への収斂が予測されます。

 

①.将来的な街路のあり方として、拙著では一方通行路を基本とすることで、大がかりな市街地の更新を行わずに小さな費用で、自転車レーンを整備したり、信号待ちを減らしたりという形で暮らしやすい空間に変えていくことが可能であることを示していますが、少なくともクルマの通行量が現在のように多い間は、その形状が合理的なものであると考えられます。
②.すでに四車線以上の大通りが縦横に整備された町の場合はもう少しやり方があると考えられ、一般車両の車線数を減らしながら、公共交通専用レーンや自転車レーン、駐停車レーンなどに転換していくための具体的な手順を示しています。
③.専用自転車レーンを整備する際には、スペースに余裕がある場合は対面通行のレーンを道路の両側に設置することも可能ですが、既成市街地では自転車の一方通行化が必要になります。
④.自転車レーンの一方通行化が徹底される場合は、自転車の利用者が信号機に頼らずに安全に効率よく道路の対岸に渡ることが可能な道路構造が必要になり、そのためには一般車両のレーンは最大でも往復で2車線まで、加えて中央に安全島や同等のスペースが保たれて、安全を確保する必要が生じます。
⑤.自転車の一方通行化は、通行速度のアップも伴うため、その速度についていけない「老人の自転車」等は歩道の通行を許可する代わりに、あくまでも歩行者が優先で迷惑をかけないようにする義務を負わせることが有効です。

 

 本書では、①については p65、②については p75、p99、p134、③については p124、④については p128 ⑤については p127などで縷々述べていて、最も難しい交差点の処理については、むしろ自転車と歩行者とを混在させることで、交差点のスペースを有効に活用し、自動車、自転車、歩行者という三段階を、自動車、自転車+歩行者という二段階に分けることによって、優先関係をすっきりさせ、かつ自転車も交差点領域だけは一方通行に無関係に横断する方が、全体として安全と効率が保ちやすいという考え方を示しています(p127)。

 

・警察庁の通達
 こうした方向を合理的なものと看做した場合、かつては消極的であった警察の動向が気になります。
 夏頃に「自転車の一方通行レーン」とそのための標識を新設する発表がありましたが、先日は「自転車は車道通行」を基本に据える方針が報道されたため、自身も含めて世間はこの方針の意図を理解しかねて、2chなどのサイトでは多くの反論が集まっているようです。

 

 ただ、実際に警察庁が発表した通達を読むと、報道された内容とはニュアンスが異なり、むしろ「合理的な方向性」への準備の意志がはっきりと見られる、画期的なものであることが分かりました。

 

 その「警察庁交通局長の通達」から抜粋すると、

 

   今一度、自転車は「車両」であるということを、・・・
   そのためには、自転車道や普通自転車専用通行帯等の自転車の通行環境の整備を

   推進し、自転車本来の走行性能の発揮を求める自転車利用者には歩道以外の場所

   を通行するよう促すとともに、車道を通行することが危険な場合等当該利用者が

   歩道を通行することがやむを得ない場合には、歩行者優先というルールの遵守を

   徹底させることが必要である。

 

 これは、自転車レーン整備の必要性全般(拙著p118に対応)を説いていて、

 

   他方で、高齢者や児童、幼児を始めとしたそのような利用を期待できない者等

   には、引き続き、一定の場合に歩道の通行を認めることとなるが、その場合で

   あっても、自転車は「車両」である以上、歩行者優先というルールを遵守させ

   る必要性があることは論をまたない。

 

 これは、上記の⑤そのままになります。

 

   こうした考え方を踏まえ、良好な自転車交通秩序の実現を図っていくためには、

   自転車の通行環境の整備、自転車利用者に対するルールの周知・・・
   自転車専用の走行空間を整備するとともに、自転車と歩行者との分離を進めて

   いくことが不可欠
   ・・・
   各都道府県警察にあっては、道路ネットワークの連続性の確保に配意するとと

   もに、道路管理者、地方公共団体等と連携した上で、計画的に以下の事業を

   実施する

 

 これなどは、安全確保に関する最終的な責任者である警察が主体となることで、土木の分野に対して設計の変更を求めていく意志を表していますから、なかなか頼もしい流れであると言えます。

 

   道路管理者等と適切な連携を図り、自転車道の整備を一層推進すること。特に、

   従来は自転車道の整備が困難であった道路においても、平成23年9月に新設

   された規制標識「自転車一方通行」を用いて自転車道を整備することができる

   路線を精力的に抽出すること

 

 この辺は、夏頃に発表された一方通行施策とリンクしています。

 

   自転車の通行量が特に多い片側2車線以上の道路において、現在、自転車道等が

   整備されていない場合には、自動車等が通行する車線を減らすことによる自転車

   道等の整備を検討すること

 

 これは、②に対応しますが、これまでの通過交通一辺倒の考え方からは、大きく転換した新しい理念であると言えます。

 

   自転車の通行量が多い2車線道路に一方通行の交通規制(自転車を除く。)を

   実施することによる道路の両側に自転車道等の整備を検討すること

 

 ここは①に対応し、拙著の中でイチ押しとする「発明」になりますが、これまでは通行量の多い2車線街路を一方通行に変更することなどありえないと考えられていたはずで、実際に2009年に行われた鳥取の一方通行化社会実験の際には、県警本部が強硬に反対したために計画が縮小した経緯もありますから、こうした方針が示されたことは画期的な転換であると言えます。

 

   現在、パーキング・メーター等が設置されている道路において、パーキング

   メーター等の利用率が低い場合には、パーキング・メーター等を撤去することに

   より、自転車道等の整備を推進するパーキング・メーター等の利用率が高い

   場合には、第1車両通行帯を駐車枠と自転車道等とすること等を検討すること。

 

 ここもなかなか画期的な考え方で、上の写真の例のように、駐車帯がないことで自転車が危険にさらされる現実に対して、以前は街路の駐停車は排除する一方であったのが、むしろ通過車両の車線を割いても自転車の安全を確保する方向に転換しています。

 

 後半は、従来のように地域のボランティアや学校と協力して、啓発、教育を徹底していくという少し退屈な内容ですが、警察庁が大きく方向を転換したことは大いに頼もしいことであり、今後のまちづくりはもう少し大胆に「合理的な方向」を目指して進むことが可能になると予測されます。

(「事例の研究」から転載) 

 

043-4 ガソリン価格が2倍に? (4-1-2:ガソリン価格が二倍になったら p168)  2012/1/18

 

 最近、環境省がそんなテーマで、2月5日締切で意見を募集しているそうですが、実は拙著でも同じテーマで簡単な考察をしていますから、あらましをご紹介しておきます。

 

 まず、ガソリンの消費量もしくは走行距離と交通事故死者数との関係は、東京の港区も東京都全体も北海道も佐賀県も香川県も同じ水準ですから、燃料費が上がることで死者数が減少することが期待できます。

 

 そこで、狭小な日本の国土と将来的な石油の逼迫も考えて、つ まり「オヤジの現在」についてはちょっと我慢をして「子供の将来」に備える考え方で、イギリスやオランダ以上の税率を設定し、ガソリンも軽油も現行の価格の二倍の世界を想定して・・・第二次石油ショック以降、ガソリン価格は漸減を続け、数年前には百円を割り込む時期が続きましたから、安いガソリンに慣れた人にとって250円という値段は途方もない数字ですが、国民所得との比較から想像することが可能です。

 一人当たりの国民所得は、右肩上がりの時代の後、バブル以降は300万円前後でほぼ横這いなので、300万円としたときのガソリンの価格をそれぞれの年代で換算すると、1983年頃が250円に相当しますから、テレビでは松田聖子やたのきんトリオの時代、テニスやサーフィンがブームだった時代のガソリンの価格に戻ると考えればよく・・・

 

 ①.貨物料金への影響
 トラック(営業貨物車)の営業収入は年間11兆円・・・仮に軽油の価格が100円、ガソリンが125円上がれば、全体としては1.86兆円、17%の経費の上昇・・・道路公団の高速道路の料金収入が平成14年度の実績で1.82兆円・・・一部を充当して、大型車の料金の引き下げや、需要の小さい路線の無料化などを行えば・・・五千億円弱が相殺されて、実際の経費の上昇は12%ほど・・・

 

 ②.ハイヤー・タクシー料金への影響

 タクシーの走行一キロ当たりの原価は161.2円、そのうち人件費が122.4円で、原価の76%を占め・・・燃料費が原価に占める割合は5.6%・・・利用頻度が変わらなかったときの国民の負担額は1500億円ほどの増加・・・初乗り料金が40円上がって・・・

 

 ③.バス料金への影響

 消費した燃料は軽油9.66億リットル・・・乗客一人当たり一回22円、一人キロ当たり3.5円の値上がりになり、結構ばかに出来ない数字・・・仮にガソリン税収の増加分のごくわずかでも充てれば、大幅に運賃を値下げることも可能・・・

 

 ④.マイカーへの影響

 以上の燃料費と人件費が関わる自動車輸送では、いずれの場合も実際には人件費の取り分が大きく、燃料費が二倍になったときの影響の度合いは数パーセントから十数パーセント程度ですが、マイカーの場合は人件費を考慮しませんから、燃料が二倍になると確実に負担が増え、消費行動は大きく変化すると考えられます。

 ここでは、燃料にガソリンを使用するクルマの大半が自家用車であると看做して考えると、利用キロ数が変化せず、単純に人々の負担が二倍になるケースと、人々の負担が増えずに自動車の利用が半減するケースとを両極し、その間のどこかに着地点があると考えられ・・・

 長いスパンで見ると、はじめの数年間は負担が増えていたものが、次第に利用を減らす考えが浸透し、公共交通が選びやすくなったりして、前よりも半減以下にまで自家用車の利用が減り、システムの導入前よりもむしろ負担額が減る可能性・・・

 2003年のガソリンの販売量は0.61億キロリットル・・・税収は3.3兆円ほど・・・税率が178.8円になれば、仮に販売量が半分になったとしても2.17兆円の税収増・・・販売量に変化がないとすると7.63兆円の税収増で、その分は国民の負担が増える・・・クルマのライフサイクルで見ると、車両価格を100万~1000万円として、燃費はエンジンの大きさに依るものの一リットル当り8~25キロほどとすれば、10万キロ走行したときの燃料の消費量は4~12.5キロリットルになり、ガソリンが一リットル125ならば、50万~156万円、ガソリンが一リットル250円ならば100万~313万円となりますが、いずれにしても車両価格と比較してもおおむね低めの総額・・・

 

 民営化の直前の道路公団の営業収入が2兆円ほどですから、これを全て税収増分で賄うとします。合計すると、0.01~7.64兆円の負担増で、消費税率に換算すると0~3%ほどに相当し、税収増は2.18~7.64兆円になり、暇つぶしにだらだらとドライブしたり、一円でも安いビールを求めて走り回ったりということで無駄に消費される石油資源は削減され、高速道路を使って遠出をするような場合には却って安上りになることになります。普段の通勤に自動車を使っている人が多い会社では、通勤費の支給負担額は増えるため、公共交通へのシフトや、同じ方面の人が乗り合わせるカープーリングが推奨されるようになるかもしれません。

ガソリン税等の変遷
ガソリン税等の変遷

 税収が2~7億円の増収になるので、もし地方税の割合を増やすことができれば、自動車の利用が不可欠な田舎の自治体ほど財政的に助かることになり、増収分を自動車税の減税に回すことは容易で、一般的な利用者の負担はむしろ下がることが期待できます。
 ガソリン税が日本の二倍ほどの西欧では、日本の自動車税に当たる税額は、日本の軽自動車並みかせいぜい小型車の半分以下が相場ですから、仮にガソリン税収から1兆円程度を充当しただけでも、小型車で年間1万5千円程度、軽自動車で5千円程度まで減額することが可能になり、一家で数台を保有する必要のある地方の人々の負担は大きく減ります。
 自動車税は日本の自動車工業が未熟であった時代の非関税障壁の名残でもあり、それは3ナンバー枠の減税などで次第に解消されたとはいえ、今ではむしろ自動車の輸出にとっての足枷になっている可能性もありますから、今後は保有にかかる税金を減らして、使用ごとに公正な税金を負担する方向にシフトすることが合理的であると思われます。
 鉄道の運賃は、JRの本州内幹線路線が91~100kmで1620円ですから、ガソリン価格が1ℓ250円であれば、燃費が15km/ℓの自動車に相当します。もちろんこれは1人乗車の場合ですから、人数が多ければ人数割になりますし、大都市圏以外の高速道路はおおむね無料になるのですから、なんでもない数字であると言えます。

 

 いずれにしても、ガソリン税率が3.3倍という「とんでもない」政策案の割には、現実の影響はそれほどでもなさそうで、一般には、石油の消費の抑制は経済に悪影響を与えると思われがちですが、全体で言えば消費税率0~3%弱程度で、その中でも経済活動に直接かかわる運輸部門などでは高速道路料金などの相殺効果でほとんどゼロにできるので、心配するほどではなさそうです。

 むしろ渋滞が解消され、道路の利用効率は向上するので、道路建設を急ぐ必要性は小さくなるため、社会全体としてはコストが低減し、事故が減少すれば保険料の引き下げの可能性もあり、必要な利用と不要不急の利用とのフィルタリングが自然に進むことになります。

 一方では、ガソリン税の増収分を原資として、燃費の良いクルマの開発への補助も可能でしょうし、将来的に世界的な石油の逼迫がクローズアップされたときには、強い国際競争力を持っていることになり、ちょうどかつての日本の厳しい排ガス基準に適合した日本車が、アメリカ市場において強みを発揮したのに似た状況が期待されます。

 

 これからの日本の自動車工業は、非関税障壁に頼らず、他の工業製品と同様に燃費などの総合性能の良さで市場にアピールしていくのが望ましいことになるでしょう。

 

フランスの高速道路/ Autoroute, Nord-pas-de-Calais
フランスの高速道路/ Autoroute, Nord-pas-de-Calais

049-4 高速道路とはなにか  2012/5/13

 

84歳男性が新東名逆走 『間違えた』路肩を走行
 

 12日午前11時50分ごろ、4月に開通したばかりの新東名高速道路の新清水インターチェンジ(IC)を通行中の車から、「車が逆走していった」と110番があった。静岡県警高速隊が約15分後に、同ICから約18キロ離れた下り車線で、路肩を時速70~80キロで逆走している軽乗用車を発見し、制止した。

 逆走による事故はなかったが、高速隊が車を見つけるため、御殿場ジャンクションと島田金谷IC間の約100キロの上下線で一時、時速50キロの速度規制が出される事態になった。

 高速隊によると、運転していたのは静岡県富士市の男性(84)。保険代理業の仕事で同市内を走行中、誤って新富士ICから新東名に進入し、約14キロ離れた新清水ICでUターンしたという。男性は調べに「道を間違えたので戻ろうと思った」と説明しているが、逆走する間に、進入した新富士ICも通り過ぎていた。

 高速隊によると、新東名での逆走は今回が初めて。高速隊は「大きな事故にならずよかった。本人や家族には免許を返納するよう説得したい」としている。〔新東名高速道路の新清水インターチェンジ(IC)を通行中の車から、「車が逆走していった」と110番があった。静岡県警高速隊が約15分後に、同ICから約18キロ離れた下り車線で、路肩を時速70~80キロで逆走している軽乗用車を発見し、制止した。

 

 幸い事故がなかったので論じやすいのですが、ここでは警察が逆走車を発見するために、全面通行止めにするのではなく、御殿場-島田金谷間で時速50キロの規制を行ったという内容に注目しています。

 

 日本の「高速道路」のモデルは、ドイツの「アウトバーン "Autobahn" 」であると言われていますが、その本場の呼称の意味するところは「自動車道」であり、これはイギリスの「モーターウェイ "motorway" 」、フランスの「オートルート "autoroute" 」、イタリアの「アウトストラーダ "autostrada" 」も同じです。アメリカの「フリーウェイ "freeway" 」にしても、信号や平面交差などから「フリー」ということですから、これも「自動車専用道」程度の意味になります。

 オランダの高速道路だけは「アウトスネルヴェーヘン "Autosnelwegen" 」と呼ばれ「速い(snel)」という意味が入りますが、皮肉なことにオランダの高速道路の速度制限や速度自動取締りは西欧の中では特別厳しく、まれに大きな運河にかかる跳ね橋が上がって止められることもあるような、一般に考える高速道路のイメージとは少し異なる道路になっています。オランダの高速道路には、混雑の度合いに合わせた制限速度を表示するDTM(Dynamic Traffic Management)と呼ばれるシステムを構築していて、跳ね橋が上がる際にも、1.5キロ手前から制限速度を徐々に落としていくかたちで、安全に停止させることを可能にしているようです。渋滞時にも表示された数字まで速度を落とせば走り続けられるので、急に渋滞が発生して事故になるのを防止できるほか、自然に車間距離が縮まり交通容量は増大するようです。したがって、オランダの高速道路は、速度の異なるクルマが存在しないように管理し、きめ細かく制御することで、速達性と交通容量とを両立させた自動車専用道とでもいう位置づけで、こうした考え方はこれからの道路の主流になる可能性があります。(4-1-3 高速道路とはなにか:p176)

オランダの高速道路(並行する列車から撮影)/ Autosnelweg: Dutch highway
オランダの高速道路(並行する列車から撮影)/ Autosnelweg: Dutch highway

 オランダは世界でも最も高速道路密度の高い国と言われますが、同時にドイツなどとも異なり高速道路の交通量が極めて大きいことも特徴で、最高速は時速120kmほどと西欧の中では低く設定され、加えて自動取り締まりシステムが至る所に設置されていて、日本人社会では5キロオーバーでも罰金の請求が来たと噂されていました。
 実際には会社に行くにも隣町へ行くにも高速道路を利用し、朝の通勤時間帯を少し過ぎた主婦が移動し始める時間帯になると、片側4車線の高速道路で一番右側の車線を時速90キロくらいで縦に並んで走るのが一般的でしたから、日本人が考える特別な道路とは異なり、日常的に利用され、歩行者や信号や平面交差からフリーな安全な道路として位置付けられ、オランダの高速道路のコンセプトを学ぶことは、これからの社会での自動車走行の利便と安全や社会資本としての投資効率を考える上では有用な知恵が見いだせると思います。

 

 現行のオランダの高速道路で重要な技術であるDTMについては、跳ね橋の手前での減速も同じですが、高速道路が少し混み始めると「90(km/h)」の表示があり、さらに混み始めると「70」さらには「50」となり、それ以下はないので、時速50kmというのは、いつでも止まれる速度という意味で、交通工学的には重要な数字ではないかと考えられます。
 この記事のような道路内に危険な状況が現われた際にも、時速100kmに対して時速50km制限になれば、2倍弱の交通容量が確保できることになりますから、速達性を少し犠牲にしつつも、高速道路に入り込んだ車両をそのまま走行させながら安全と交通容量とを両立させる施策が、新東名の開業に伴って実施されたことにもなります。

 

 今のところ学会にも官界にもDTMをはじめオランダの高速道路のコンセプトの導入に積極的な意見はあまりなく、確かに速度を抑えることで通過容量を増大させる技術が周知されてしまうと新しい道路の建設が頭打ちになる懸念もありますが、日本の国土や財政、ことに大都市圏の交通量を考えると、大いに示唆に富む部分があります。
 たとえば新東名で議論されている最高速度の引き上げについても、単純に現在の制限時速100kmを120kmに引き上げるのではなく、オランダのように自動取り締まりを数多く設置し、時速120kmを5km超えただけでも罰金の請求が行くようにすれば、追い越し車線のクルマの大半が時速120km前後で走行し、ドイツの高速道路のように時速200kmで背後から迫るクルマにおびえる必要もないので、車線変更を繰り返す必要も減り、車間距離も安定的に保たれて交通容量も増大します。
 首都高速の場合も、時速60km制限のところを現状では80kmほどで走行する車が多いのですが、通過容量や安全を考えれば、60km制限を厳格に適用して、混雑の状況に合わせて制限速度を落としていく手法が効率が良いことが分かります。

 

オランダ アウトホールン付近 (p129)/ Noord Hollland
オランダ アウトホールン付近 (p129)/ Noord Hollland

001-3 田園地帯にある自転車道の例

 

左側のアスファルト舗装が自転車道兼歩道です。
右側の煉瓦舗装が車道です。
どちらも右側通行です。
日本ならば並木の木陰が欲しいところです。
雷の多い地域なら、電柱があれば避雷針代わりにもなります。

 (p129:3 街路をつくる /3-3 自転車レーン /3-3-2 自転車レーンの作り方)

 

さいたま市緑区 (p211)/ Saitama City
さいたま市緑区 (p211)/ Saitama City

002-4 使いやすい立体交差の例

 

高さが1.6mほどなので、大人が通るには低すぎますが、
小学校の通学路に使われているようです。
安全なだけでなく、なんだか楽しそうです。

(p211:4 クルマのための道路 /4-3 高架道路 /4-3-1 人が通る道にはどれだけの高さが必要か)

 

既存の道路平面の再配分案
既存の道路平面の再配分案

041-3 道路平面の再配分  2012/1/14

 

 世間では自転車に関する議論が盛り上がっているようで、画期的な警察庁の通達に関しては、メディアが揃って誤解を招く報道をしたまま訂正もなく、警察による反論や捕捉もないようですが、一方では国土交通省との定期的な話し合いも始まっているようですから、議論をする人々の認識とは別に、静かに合理的な施策が進んでいくものと予想されます。

 

 本書では、交通弱者が利用可能な福祉にも適う交通手段の安全を保つ手段として、またオランダの考え方を参考に、戦後クルマに事実上席巻されるようになった道路上の権利の再配分の過程として、自転車レーンなどの必要性を論じています。

 

 ・・・高校生にもなれば、活動の領域も格段に広がり、自分の力で行動することが要求されますが、交通弱者であることには変わりないので・・・自転車は、同じ距離を移動するのに要するエネルギーが徒歩の5分の1ほどで、地上でもっとも効率の良い乗り物と言われますから、実は老人にとっても重要な交通手段です。老人のうち寝たきりの割合は20人に一人とも55人に一人とも言われる程度だそうで、大半の老人は自分の足で歩いて生活するものですから、自転車の利用の安全を図ることは十分に老人福祉に適った政策になりますが、高校生の自転車と、老人の自転車とでは、そのあり方は大きく異なるため、これらをうまく分けて考えることが必要です。

 

 九州ほどの面積の国土のオランダには、3万キロの自転車道あるいは自転車レーンが・・・オランダは国土が平坦ではあるものの、年中西風が吹き付ける状況は必ずしも自転車に都合が良いとも言い切れず、むしろ早くから経済がテイクオフし、17世紀にはバブル経済が起こっていた先進国であるため、120年ほど前にドイツで発明されたクルマも富の象徴にはならず、便利ではあるけれども欠点も多い機械に過ぎないという冷静な認識があるようで、クルマの利便性を認め、そのための専用道路の建設を続けつつも、自転車も重要な交通手段と位置づけてこの地位を確保してきたようですから、これからの日本人にとって理解しやすい考え方であると思われます。

 

 自転車に関しては、疋田智氏が一連の著作でその魅力を説いていて・・・それぞれの話はいちいちもっともであるものの、現行の道路事情下で安易に自転車の利用を奨めたとしても、事故の増加や混乱の責任を負うことができないのが現実です。

 オランダでも、同じ距離を移動する間に事故に遭う確率は、自転車がクルマの6、7倍・・・イギリス運輸省のデータでは、ある距離を移動する際の事故で死亡する危険性は、自転車がクルマの13倍ほどになり、クルマと自転車がぶつかれば、犠牲になるのは一般には自転車の方ですから、クルマから自転車を守る安全対策は必須・・・

 

 オランダの考え方の基本は、クルマと自転車と歩行者とが平等な権利を持つべきということだそうで、それぞれが互いの権利を認め合って地面を分割して住み分ける考え方が必要になるようです。
 例えば、街路は、路面電車、クルマ、自転車、歩行者のそれぞれのレーンに分かれていますが、日常生活で歩行者が自転車レーンや車道を横断したり、クルマが自転車レーンを越えたりする際には、その領域を優先的に利用する人々に迷惑をかけないという大原則があるようで、それさえ守れば何をしても構わないというところもあり、その原則がある限り、クルマも自転車も歩行者も、自分が優先権を持つ領域を通る限りは特別な心配が要らないことになり、他者が優先権を持つ領域に立ち入るときだけ、迷惑をかけないように注意を払うことになります。この原則に従うと、自転車レーンを走行する人にとっては、レーンに立ち入るクルマにも歩行者にも正当な抗議の権限を持つことになり、交差点で右折(日本では左折に相当)する際に、うっかり自転車のレーンをふさいで信号待ちをすると、自転車に乗った人がクルマのフェンダー部分をはたいて抗議を示すこともあります。(p121)

 

 こうした認識を基にして、既存の道路平面のうち、それぞれの利用者が優先的に利用できる領域を再配分をした場合、図のような形で表現され、こうした叩き台を基に取り合いを論じていくのが有効ではないかと考えています。
 図では細分化はしているものの、実際には「優先権」があるだけで、その他の利用者も優先関係を守りさえすれば他の領域に入り込むことは可能で、めったにクルマの来ない路地でキャッチボールをしても、道路に絵を描いて遊んでも構わないことになります。

 

014-4 ガソリン税と高速道路料金について(その1)  2011/4/24

 

4-1-1 【ガソリン税と道路財源】(梗概)
 「ガソリン税」については、2005年の郵政選挙で、いわゆる道路族を追い出して大勝した小泉内閣が直ちに一般財源化の検討を始めさせたため、年間三兆円ほどにものぼる税収が福祉などに割り当てられることは、それまで「道路族」や「無駄な道路建設」を批判し、社会保障予算などの逼迫を憂いてきた人々ならば欣喜雀躍するはずでしたが、このニュースの扱いは、テレビでも新聞でも非常に消極的なものでした。
 もっとも、もし一般財源化するのなら、現在二倍の暫定税率を廃止すべきという少し意味不明の意見や、各都道府県の知事の多くが一般財源化に疑問を呈していて()、議論の余地があることも確かですが、結局は国民的な議論を喚起する報道がなされず、メディアがこの報道に及び腰であっため、そこでためしにメディアの広告収入の内訳を見てみると、全メディア(新聞、雑誌、テレビ、ラジオ)の広告収入に関して、上位二十社のうち自動車会社は六社を占める重要な広告主であり、中でも新聞広告を重視しているかが分かり(ⅱ)、少なくともこれだけの広告主になると、厳密に中立で客観的な報道はなかなか期待できず、ある程度の遠慮があるものと割り引いて捉える必要があることが分かりました。

 日本の揮発油税は、製油所からの蔵出時に課税するもので、ガソリン1ℓにつき、国税が48.6円、地方道路税という目的税が5.2円、計53.8円が課税されます。
 揮発油税は、本則税率は1ℓ当たり24.3円、暫定で2倍の税率が30年近くも見直されていないとして、自動車業界は元の税率に戻すように主張し、石油元売の業界団体は蔵出税に消費税がかかる二重課税を問題にしています。
 ただし、本則税率が決まったのは一人当たりの国民所得が今の10分の1だった昭和39年、2倍の暫定税率になったのが国民所得が今の半分だった昭和54年なので、実質的には税率はずいぶん割安になっているので、物価水準に合わせて、現在の暫定税率の二倍程度まで引き上げることも検討されて良いはずで、仮に本則税率を100円ほどとし、そのうち昭和39年当時の税率25円を道路財源に充てれば、十分に潤沢な財源が確保できます。

 道路特定財源は、若き日の田中角栄代議士が推進したことで知られていますが、元はアメリカの1908年発売のT型フォードによる自動車の爆発的な普及の時代の対応策で、これが戦後において、アメリカの諸都市の生活のあり方を大きく変えたと言われ、そのアメリカでも、1973年には、ガソリン税収の一部を公共的都市交通機関の建設にも向けられるようになった()とのことですから、日本での議論は30年ほど遅れています。
 欧州では、1965年のイギリス運輸省の「ブキャナン・レポート」には
   しかしながら、資金コストを完全に取り除くことはできない。
   タバコを吸い、酒を飲むことを除けば、国民の持つ金を使わせるには、自動車の所有とその利用

   に対し課税するのが最も容易であるとわかっている。(
という記述が見られ、有効な税源ではあるものの、タバコや酒の税金と同様に、目的税として固定するような考えはもとからありません。

 その西欧では、イギリス、ドイツ、オランダなどは高速道路料金が原則無料ですが、反面ガソリンにかかる税金は日本の暫定税率の2倍程度、本則税率の4倍ほどで、さらに、いずれの国でもガソリン税も含めた価格に対して17.5%の付加価値税(日本の計算方式で21.2%)がかかり、消費者価格も200円以上になります。
 ガソリン原価に関しては、むしろ日本よりも割安で、これはBPやシェルといった石油メジャーを抱えるからではなく、近年の日本のガソリンの消費量の割合が非常に高く、分溜だけでは間に合わず、軽油に水素を付加してガソリン成分を精製するために割高になると言われます()。
 実際に原油の輸入量自体は横ばいで、2003年までの25年間で1割ほど減少したのに対して、原油からガソリンや軽油を精製する割合である「生産得率」は、ガソリンも軽油も2倍前後まで増加していて、つまり、他の産業部門で省エネやエネルギー転換が進み、原油の輸入を抑制してきた一方で、自動車に消費される割合ばかりが、25年間で2割から4割にまで拡大したことになり、税率の引き上げで消費量が抑制されれば、精製コストが削減されて原価が下がることも期待できます。

 

 では、ガソリン税や道路財源に関してはどういう考え方をするのが良いのか、例えば、中条潮氏は「道路特定財源は一般財源化せず民営化せよ」と題した論文の中で、ガソリン税等を「道路の利用料」と断定した上で、
   「道路交通の発展が鉄道の衰退を招いたのだから、道路財源から鉄道に補助すべ

   きだ」とか、「鉄道は自力で施設整備をしているのに、道路は無料で供給されて

   いるのは不公平だから、道路から鉄道に補助すべき」という意見が、かなり高名

   な経済学者や評論家からさえ聞かれるのには、あいた口がふさがらない。
   前者に対しては、「バーガーショップに客を奪われて経営悪化した牛丼屋に補助

   金を」という主張は正しいか、と問いかけるだけで事が足りるだろう。後者につ

   いては、道路は自動車利用者の負担によって整備されており、特別会計はそのた

   めに存在するということを、もう一度強調しておこう。(ⅰ)
と述べていますが、外部不経済を持つ私的交通としての自動車と、福祉の一部でもある公共交通とは、ハンバーガーと牛丼ではなく、タバコと医薬品くらいに喩えていれば、問題の複雑さに気づいていたと思います。
 この方の例に見るように、自動車の外部不経済などは意識されずに論じられますが、一部の学者の一面的な理屈ではなく、国民に十分な情報が与えられて、国民的な議論の上で決定される必要があります。

 

・分配の問題
 西欧の例を参考に100円程度の課税は常識的な範囲内として、負担の公正や適正な分配を考えていくことになります。

①.道路の利用料
 とりあえずは道路建設費や維持費に相当する分を「利用料」として考えると、道路は費用が逓減していくタイプのインフラで、クルマが一台増加したときの限界費用も限りなくゼロに近いことが特徴で、ただこれも道路設計者がその気になれば、社会にとって必要なインフラを構築することよりは、道路利用料をたくさん徴収することを目的とした設計も可能であるため、現在では、道路の利用料としての取り分は小さくなっていると考えて、投資を抑制することが必要になります。

②.外部不経済の内部化と低減
 自動車の走行が周辺に与える迷惑分を運転者に負担させる「内部化」のほか、外部不経済は道路の構造などによっても異なるため、なるべく住宅地などではなく自動車専用道を走るように誘導するために専用道の建設や償還に充てることも、いちおう外部不経済の低減のための費用と看做します。

③.税負担の公正
 外部不経済の大きさは、市街地と人口の少ない地域とでは異なりますが、地域によって税率を変えることは不合理も予想されるので、市街地に合わせて全国一律の税率を定め、都道府県の取り分を増やせば、その他の地方税の減税などでの還付も可能になります。
 また、地域によって一人当たりの負担額が異なり、茨城県では東京都の3倍ほどで(ⅶ)、それでいて道路建設に当てられる交付額は、東京都と茨城県都では同じ程度で(ⅷ)、現状では、少なくともガソリン税負担と道路建設の関係で言えば、一部の人々が主張する、東京の税収が地方の道路に使われているという図式は成り立たないようです。

 この税収は、鉄道などの公共交通への補助の財源としても有望で、例えば茨城県ではガソリン税等だけでも県全体で1000億円近くを支払っていることになる(ⅶ)のに対して、茨城県内の私鉄五社の鉄道路線の「営業費用」の合計が48.5億円にすぎず(ⅸ)、ガソリン税収の20分の1を充てるだけで無料化が可能な程度です。
 長年赤字続きの鹿島鉄道(通称「カシテツ」)の廃止の話が持ち上がったときには、沿線の中高生たちが「親たちは車を運転するからカシテツがなくなっても何にも感じないかもしれないが、僕達はカシテツがなくなったら困るんだ!」と立ち上がり、存続のための活動を行っているそうですが()、親たちが払ったガソリン税が子供たちの負担を減らすのに使われたとしても、出どころは同じで、公共交通の利用者は自動車の利用者と対立する存在ではなく、経済的にも家族や社会に依存しているケースが多いため、同じ地域内で扶助し合うような関係でもあります。

④.化石資源の枯渇と温暖化対策
 石油の埋蔵量は、諸説を総合すると、確認埋蔵量の50~60%が採掘された頃に生産量のピークを迎え、その時期は早ければ2015年頃、もっとも楽観的な予測にしたがっても、2030年頃で、その後は石油の枯渇に向けて減産が始まることになり、早ければ2010年には、石油資源枯渇が現実の日程に乗る可能性もあるそうです(ⅴ)。
 石炭や天然ガスなどの化石燃料も、ウランなどの鉱物燃料も遠からず枯渇の日を迎え、農業的に生産される代替燃料も輸入に頼らなければならないのは確実で、そうまでして自動車という技術分野に固執する意味はないでしょう。
 したがって、日本に限らず、いずれ化石燃料の消費には抑制が必要になり、その前に価格の高騰という現象も現れますから、早めに対応できるように準備することは有効です。
 消費の抑制に関しては、経済的な動機に訴える方策、端的には課税の強化が効果的と言われ(ⅴ)、現に西欧では既に導入されている炭素税のようなもの日本でもいずれ必要になるでしょう。

 以上のように、大きく四つほどの項目に分配されるとして適正な配分を政治的に決定していき、例えば100円の税金のうち、①利用料として15円が建設費や補修費、②外部不経済分の25円が国庫に入り、その一部は高速料金の値下げや無料化に充てられ、③地方税として40円が各都道府県に入り、④消費抑制や環境税として20円が国庫に入る、などの形で表現されることになり、社会資本の整備とともに、その取り分は変わっていくので、いずれは環境税などの割合が高まっていくものと考えられます。

 

ⅰ 中公新書ラクレ編集部 編『論争・道路特定財源』(中公新書ラクレ)
ⅱ 日経広告研究所 編『広告白書 平成一六年版』(日本経済新聞社)
ⅲ 宇沢弘文『自動車の社会的費用』(岩波新書)
ⅳ 英国運輸省「運輸大臣アーネスト・マープルズ議員に対する書簡」/『都市の自動車交通 ~イギリスのブキャナン・レポート~』(鹿島出版会)
ⅴ 小山茂樹『石油はいつなくなるのか ~検証・エネルギー問題のすべて~』(時事通信社)
ⅵ 小宮山宏『地球持続の技術』(岩波新書)
ⅶ 経済産業省経済産業政策局調査統計部 編『平成一四年 商業統計表 第4巻品目編』(経済産業省)
ⅷ 国土交通局鉄道局監修『平成一五年度 鉄道統計年報』(国土交通局鉄道局)
ⅸ 公共投資総研『公共投資総覧二〇〇五 ~平成一七年の公共事業~』(公共投資総研)
ⅹ 酒井順子『女子と鉄道』(光文社)

 

007-2 「2-2 自動車の社会的費用」の梗概   (p55:2 自動車の社会的費用 /2-2 自動車の社会的費用)   2011/2/27

 

・外部効果

 自動車のあり方を考える上で、ミクロ経済学の「外部効果」という概念が重要で、これは、ある経済行為者が私的に支払った費用に対して、そうした費用を伴わずに影響を受ける人がいることによって起こり、他人の行為によって費用を負担せずに恩恵を蒙る人が現れる場合に「外部経済」があると表現され、これに対して、たとえば工場の煤煙で迷惑を蒙る住民がいる場合に「外部不経済」がある、また私的費用に対して社会的費用が大きいとも表現されます。
 外部不経済の代表的な例である「公害」に関して、事業者に対して補償を求める「内部化」をするとしても、市場経済を通してでは成り立たず、行政や司法が介在する必要があることが外部不経済の特徴で、課税や補償の要求のほか、工場の立地や煙突の高さを制限する予防的措置も有効です。
 公的部門の役割は、突き詰めて言えばこうした外部性をコントロールすることによって、資源を最適に配分し、社会全体での福祉を向上させることであると言えますが、課税する権限を持たない民間企業にとっても、この外部経済を取り込むことは課題で、首都として優先的に整備された社会資本を過小な負担で利用できる東京への一極集中が起こり、「近くに空港を造れ」という政治的要求も「空港はよそに造れ」という政治的要求も、自身に都合の良い外部効果を期待しての行動になります。

 

・自動車の外部不経済

 大気汚染や交通事故などの公害をもたらす自動車の走行は大きな外部不経済を持ちますが、工場などと異なり生産者に当るクルマの運転者が常に移動する不特定多数の存在であるため、外部不経済分をあらかじめ予測して、まとめて補償を要求するようなシステムが必要になります。
 自動車の外部不経済の存在に関しては、宇沢弘文氏の『自動車の社会的費用』(1974年)が有名で、一部には大きな影響を与えたものの、その後も経済成長が優先され自動車産業が保護育成され、社会的費用の算出が難しかったことなどもあって、社会の方向は逆に進みました。
 宇沢氏自身も、極論として1台当り1200万円になるという数字を示しましたが、実務家が興味を示さないような非現実的な数字よりは、人々の権利を侵害しない形での総合的なシナリオの提案が必要であったと言われます。
 上岡直見氏は、温暖化なども含めて、種々の要素を勘案した社会的費用の試算例を紹介していて、それらを総合すると、自動車走行1㎞当り100円くらいは内部化されていないとしています。

 

・外部不経済は道路構造によって異なる

 工場を住宅地から離したり煙突を高くさせるのと同じことを、自動車の通行に関しても工夫すれば、全体の負担額を低く抑えることも可能です。
 一台の自動車が走行する場合、生活に密着した道路では小さな車であっても住人にとっての迷惑の度合いは大きく、歩行者や生活者から物理的に隔離された道路では迷惑の度合いが小さいので、その方向で社会資本が整備されれば、全体の負担は減少しますから、道路のあり方に関する考え方を確立し、外部不経済を低下させられる町づくりの方法を考えていくことが肝要です。

 

遠州 二俣/ Futamata, Shizuoka
遠州 二俣/ Futamata, Shizuoka

021-3 ヒートアイランド ~もしくは 大都市郊外の異常高温~  2011/7/16

 

 例年、この時期になると、「熱い町」熊谷や館林などの関東平野北部の都市、浜松平野の北端の扇の要の位置にある遠州二俣、美濃の多治見などが、その日の最高気温を記録する町の常連に名を連ねますが、こうした町の高温が、何による「排熱」によるものなのか、あるいは別の原因が主なものなのかという点について考えてみる必要があります。

 

 数年前までは、いわゆるヒートアイランドの原因がエアコンからの排熱であるという報道が堂々となされ、今年に入って初めてエアコンを使うようにと言う報道が始まりましたが、エアコン自体は投入したエネルギー量の4倍ほどの熱量を、室内から屋外に汲み出しているものなので、最終的には投入したエネルギーが排出されるだけになります。

 東京では人間の活動を都心に集約させているので、その分だけ排出量が大きいのは確かですが、都心を除く二十三区や郊外の地域では、最大の排出源は自動車で、ついで家庭部門の活動になります。

 冷房の排熱は、オフィスビルでは屋上の冷却塔から水蒸気の形でなされてすぐさま上昇するため、これは地表近くに暮らす人間への影響が小さいのに対して、自動車からの排熱の三分の一は空気よりも重い排気ガスに乗って地表に滞留し、残りの熱量も摩擦熱などの形で地表近くで排出されますから、影響が大きいのは明らかです。
 内陸部の高温の原因として「フェーン」という言葉が使われることもあり、確かに濃尾平野からひと山越えた盆地に当たる多治見の高温にはその可能性もありますが、それでも山を登る過程での降雨が必要で、また少なくともフェーンの風が館林に到達することはありません。

 

 最近になって、いわゆるヒートアイランドの最大の原因は、都市化によってコンクリートなどの面が増え、緑が減ったために蒸散による冷却効果が減ったことにあることがはっきりしたそうで、実際に緑の木々に照射された日光のエネルギーのうちおよそ半分は蒸散によって放出されるそうですから(ちなみに光合成で炭素固定に使われるのは、数パーセント)、広大な東京の市街地の中でコンクリートに蓄積される熱量が増えたことが、内陸に影響を与えていることになります。
 夏の暑い日の湘南海岸には相模湾からの涼しい南風が安定して吹き込み、横須賀あたりではエアコンなしでも夏が過ごせると言われますが、この南風が東京中のコンクリートに蓄積された熱を吸収して北へ移動するのですから、風速5mで5時間ほどかけて100km先の熊谷へ到達した頃には40度まで上昇してもおかしくはありません。

野火止 平林寺/ Heirin-ji Temple, Saitama
野火止 平林寺/ Heirin-ji Temple, Saitama

 山陽に育った国木田独歩にとって、武蔵野の風景の特色はナラやクヌギなどの「落葉広葉樹」であったそうですが、広葉樹に覆われた割合が高かった時代の関東平野では、蒸散により立ち上る水蒸気が夕立ちのタネになり、単純な砂漠的な暑さに変化を与えていたはずです。その夕立も、篠突く雨の後のカラっと晴れてヒグラシが鳴き出す、そんな心をきれいさっぱり洗い上げてくれるような、江戸期の夏の気持のよい夕立は明治期では経験できなくなったと言いますから(篠田鉱造『明治百話』)、都市化による変化は着実に進んでいるものの、対処の道筋もある程度見えてくると考えられます。

 

 拙著の第三章の「緑の駐車帯」という項(p105)では、近隣の住環境を向上させる方法として、以下のような考察を加えてみています。

 

   地表面に関しては、以下のような考え方が有効になると考えます。
   ①.必要以外は、なるべく舗装面を減らし、緑で覆われた面の割合を増やす。
   ②.舗装面には、なるべく太陽光が直接到達しないように工夫する。
   ③.太陽光の熱が生活環境に影響を与える前になるべく排熱するように工夫する。
   ④.舗装面も含めて、蒸散と同様に気化熱による冷却効果を工夫する。

 

 具体的には、邪魔な植え込みを減らして、代わりに駐車帯自体に雑草が伸びるように工夫し、クルマに降り注ぐ日光自体を「広葉樹」によってさえぎることを提案していて、広葉樹に包まれた住宅地にはひんやりと心地よい風が吹き、それでいて他の地域に与える影響としても望ましい方向になるはずです。

 

 エアコンの排熱に関しては、日本社会がヒートポンプ自体の利用方法に習熟してくれば、冷房と給湯とを同時に行うことで大きな節電効果を生み出すことも不可能ではありません(本書 p466)

(2012/7/7 画像を追加)