【 中身チラ見せ 2 】 本書後半(5~8章)の内容を少しずつ紹介していきます

三つの村が合併した人口1.3万人の自治体の役場。地名には自治体名ではなく、それぞれの村の名前(Ouderkerk aan de Amstelなど)が使われ続ける。
三つの村が合併した人口1.3万人の自治体の役場。地名には自治体名ではなく、それぞれの村の名前(Ouderkerk aan de Amstelなど)が使われ続ける。

039-7 行政のコンビニ化 ~「大阪維新」を機に~   2011/12/4

 

 42歳の橋下大阪府知事が打ち上げた「二重行政の無駄を省く」構想は、明治以来連綿と続いてきた自治体の統合のあり方や、これまで漫然と無批判に唱えられてきた「地方分権」を考え直す契機になると見ています。

 

 日本の自治体は、明治の時代に府県、市郡、町村という三段階で、後に郡が廃止されて市町村が同格になりながらも、地名への差別感覚を合併への動機づけに利用したことは長くしこりを残したように思われます。

 戦後、国が大都市を都道府県から独立させようとしたのに対して、権限を維持しようとする県との間の妥協案が「政令指定都市」であったそうですから、それに伴う矛盾を見直さないまま、敢えてハードルを下げて様々なインセンティヴまで与えて「政令指定都市制度」を合併の推進という目的のために利用する昨今の自治行政は安直というよりほかありません。

 政令指定都市の一番の問題は橋下さんが変革しようとしている二重行政で、そもそも横浜市のような巨大な基本自治体に住民が満足できるのであれば、大きな都道府県を百万~三百万人程度に分割すれば、自治権を持つ市町村など不要になるはずですが、実際には人口の少ない山間部や離島など、辺境部になるほど地域に合った行政が必要になるはずです。

 

 本書では、日本の商業文化を読み解く過程で、行政も商業化することで質を向上させられる可能性、その場合やはりコンビニ的な形態にならざるを得ないという見方を示してみています。

 

 日本では、生活や経済の大部分を大都市に依存し、地域に特有の政策が必要とも思われない近郊の自治体ほど地方分権を声高に主張しているように見えるのに対して、義務としての自治が必要で、地方の事情に即した工夫が要求される地方の農村ほど財政的な自立が困難で、結局は合併により大きな町に依存せざるを得なくなるのですから、地方分権という建前は、構造的に成り立たないものであることがわかります。

 これに対して、オランダでは、自治体の予算額の九割以上を国からの移転財源すなわち交付金に依っていて、これは、教育、警察、社会福祉、住宅政策などの国から委任された公的事業に関するものが主流のようですが、自主財源は地方税の上限などが制限されているため一割程度にとどまるそうで、その点でもまさにコンビニに近い状況であると言えます。(本書 p386)

 

 オランダでは、大きな都市の都市圏に関しては、その影響を受ける周辺の自治体との間で広域行政のために、各自治体からの代表者を議員とする議会を設置した広域公共団体が設立され、都市化にまつわる問題を合併を伴わずに調整する義務を負いますから、日本の大都市圏の自治体間にしばしば見られるエゴの対立とは対極の方向性が見られます。

 

042-6 新幹線規格のすすめ (6-3-3新幹線は優良なインフラ p347)  2012/1/22

 

 新幹線と言っても、その実は欧州と同じ規格の鉄道を、少し車体を大きくして高速に対応したものに過ぎませんが、道路投資と異なり厳しい採算性を求められる日本の在来線が安全面では貧弱であることは明らかですから、在来線を更新するという意味でも新幹線規格には注目する必要があります。
 在来線と高速鉄道の軌間が同じ欧州では、駅施設は共用で、初めは山形新幹線のように一部だけ専用軌道で運用を開始し、徐々に専用の高速軌道をバイパス的に建設して到達時間を短縮する形で、無理のない整備が可能です。
 

 将来のエネルギー問題を考えた場合、市街交通を担う中心が路面電車であるとすると、国内の都市間の交通を担う中心は新幹線、もしくは新幹線に近い規格の鉄道になると考えられます。
 新幹線の建設には多くの議論があるようですが、自動車や飛行機との競合や、政治的、地域的なエゴなども反映したネガティヴな意見も多く・・・
 東海道新幹線の計画当時の昭和33年ごろは、鉄道を衰退産業と考える人も多く・・・広軌(現在の新幹線の軌道間隔で、国際的には「標準軌」)新線の建設によって鉄道の水準が一新されるという、今日から見ればまっとうな考えはむしろ少数意見であったようで・・・
 実際には、新幹線は経営的にも技術的にも成功を収め、毎年数億人の新幹線利用者が全員自動車にシフトすれば、少なくとも1800人の死者と一万人の重傷者が毎年余計に発生するという試算も報告されていますから・・・

 

 実際には「高速道路」以上に投資効果の大きいインフラですが、高速道路が必ずしも「フル規格」にこだわる必要がなく、地域に合わせた規格によるコストダウンが有効であるのと同様に、新幹線規格の優良な部分を生かす工夫が必要です。

 

 ・全線での立体交差化

 全線立体交差で、平面交差に伴う重大事故の可能性はほとんどなく・・・踏み切りがある場合は、緊急ブレーキによって数百m以内で停車できる速度に抑えられているので、そうした制約がないことで初めて高速での運転が可能になっているとも言えます。

軌間と力学的条件
軌間と力学的条件

 ・国際的な標準軌

 日本では狭軌鉄道での性能を高める技術は進んだものの、下部の台車を軽量化すると重心が高くなり、上部の車体を軽量化すると乗客の多寡で挙動が変わり、横風の影響も受けやすく不安定になるなど、物理的な限界からこれ以上の性能の向上は難しそうです・・・福知山線や羽越本線の転覆事故も、仮に標準軌であったならば状況は違っていた可能性もあるので、安全性の向上を期した改軌(軌道間隔の変更)も視野に入れる時期に来ていると考えられます。

 

 脱線の場合は非常に複雑な条件が作用しますが、速度超過や横風による転覆に関する力学的条件は比較的単純で、右の図のように速度の二乗に比例しカーブの曲率半径に反比例する遠心力(あるいは横風による力)と、軌間や重心の高さとの関係で決まりますから、軌間が広ければ限界が高くより安全です。

   グラフから、福知山線の脱線事故の半径300mのカーブでは、標準軌ならば20km/hほど限界が高く、それでも速度超過では転覆せず、別の要因が重なったことがグラフからわかりますが、故障や乗客の多寡により上部車両の挙動が変わった際にも、軌道間隔が広い方が影響が小さいことになります。

 

 かつては私鉄鉄道も国鉄と同一軌道で建設することで、ネットワークの一翼を担うことが義務付けられていましたが、そんな時代にも目敏い事業者は将来の高速化や大量輸送を睨んで「路面電車」の扱いで標準軌での建設を申請し、それが後の近鉄や阪急のように戦後の私鉄経営で有利に立ったわけですし、東京が台風に襲われた日でも、京浜急行は遅くまで運行を続けることが可能でしたから、その成功例を参考に安全性を高めるための改軌を日本中で行ったとしても、価値のある公共投資になるはずです。

 

 ・線形の良い新線

 新幹線ならずとも線形の良い新線の建設で減速区間を減らすことは可能で、狭隘な斜面に沿って鉄道を敷設するしかなかった時代とは異なり、今日ではトンネルで直線的に抜けることは容易になり、適切なルートをとる限りは環境への影響も小さく、また雪国での維持管理の負担が減り、安全性は向上する要素が大きいと考えられます。
 中国山地を越えて山陽本線の上郡と鳥取とを結ぶ智頭急行線は、延長56.1㎞の建設費が413億円、1㎞当りでは7.4億円ほどで・・・

 

 ・運行効率のよさ
 このほかに、3-4-1で述べたように、表定速度が速いことは、運行効率が高いことでもあり、人件費や車両にかかる費用を低減する効果がありますし、線形性が高いということはエネルギー効率の点でも有利です。

 

 ・地方都市の地位の向上

 これまでは、とかく東京とを最短で結ぶ交通が優先され、今のところは新幹線もそうした機能が第一と考えられています。・・・

 日帰りの出張が可能になって宿泊客が減ったとしても、長期的に見れば、新幹線の存在はビジネスチャンスを増やし、地域の産業や暮らしを安定したものにすると考えられます。

 実際のビジネスでの利用は、・・・例えば山陽新幹線があれば、小倉と福山とか、姫路と広島との移動にも利用でき、それぞれの需要自体は小さくとも、そうした多くの組合せを包括して担うことのできる新幹線は大きな力を発揮し、地方都市の地位の向上につながると考えられます。

九州新幹線つばめ
九州新幹線つばめ

 ・安上りな新幹線

 新幹線の価値を考えるに際しては、ミクロ経済学の「効用」という概念を使うとわかりやすい・・・そのため、東京‐大阪間に二本目の新幹線よりは、一本目の新幹線を待望する地域に造る方が「効用」が大きく・・・東北新幹線では、東京‐大宮間の建設費と、大宮‐盛岡間の建設費が同じ程度であったそうで・・・最近の実績としては、九州新幹線新八代‐鹿児島中央間・・・東北新幹線盛岡‐八戸間・・・事業費も土地代を除いた建設費も1㎞当たり40億円台という数字になります。

 これに対して、高速道路の場合は・・・新幹線の1.5倍ないし数倍が相場のようです。

 

 整備新幹線の建設は民主党政権で一旦凍結されたものの、先月、財源確保と事業の継続が発表されました。
 それによると、延長1kmあたりの建設費は、北海道:79億円、北陸:100億円、長崎:75億円と、東北新幹線や九州新幹線の相場の二倍程度になっているのは気になりますが、それでも年間1000億円ずつの投資、つまりガソリン税収の3%程度の負担ですべての事業が進むのですから、やはり安上がりであると言って良いと思います。

 

追記 2013/7/26

 

 スペインで高速鉄道の大きな事故が起こってしまいました。

 地図で見ると、曲率はR400m程度で、日本の新幹線は本線でR2500m以上、特例的に列車速度を抑えた区間で認められたR400mと同じですから、相当減速しなければならない区間になります。

映像で見るとカントはあまりないようですから、重心の高さによって、150~180kmph程度で転覆する計算になります。

 日本の高速鉄道にはATCが付いているので、たとえ運転士が寝ていても悲惨な事故は回避できます。

 

026-7 教育バウチャー (7-2日本の商業/7-2-2商業的に考える/教育の商業化/p387)   2011/8/20

 

 先のコラム(023-2合理的な政策への流れ)で触れたように、日本の社会には唯名論的な面が今も強く残りますから、合理的な政策について「言及する」ことは重要です。小泉引退の後を襲った安倍内閣の場合は、以前から知られていたそうした政策案をやや強引に押し通そうとしたため、多くは一般財源化とは逆の結果になりましたが、それでも一度議論の俎上に載せられたものは、いずれは実現に向かう可能性が高くなると思われます。
 その中で、ミルトン・フリードマンが提唱したとされる「教育バウチャー」に関しては、自著では「教育の商業化」の項で、オランダの教育制度の例として紹介していますが、オランダはフリードマン以前から義務教育での学校の選択の自由が実施されている一番の老舗であるそうで、その合理的な考え方は、欧州中に受け入れられつつあります。
 八十年にわたるスペインからの独立戦争の意義は宗教的「自由」の獲得であり、カトリックの多い地域が後に分離してベルギーを建国し、新教徒、中でも清教徒の多かったオランダでも、カトリックの割合が徐々に増えていますが、命がけで勝ち得た「自由」は、教育を通じて具体的に表現され、子供に伝えられるべきものと考えれば、バウチャー制度の導入は自然の流れであったと思われます。
 フリードマンの考え方は、市場のメカニズムを確保しながら産業としての教育に補助する形になるそうで、現在は「配給」である公立学校も質の向上が期待され、最近よく問題にされるいわゆるモンスターペアレントの存在も、バウチャー制度によって義務教育が商業化されれば、問題の意味も大きく変わってくると思われます。
 学校の教育は、一般の商売でいえばクリーニング屋さんに似ていて、自分にとって大事なものをしばらく預けておいて、良い状態に変化を施して返してもらうものですから、その成り行きに対して過剰に心配する親が出てきてもおかしくはありません。ただ、クリーニング屋さんに要求される仕事は割合はっきりしていて、シャツを預けたら白くして返すのが普通であり、勝手に赤く染めて返すクリーニング屋さんはいませんが、現在の制度では学校が子供を何色に染めるのかは全く教師の判断にゆだねられているので、高いお金を払ってでも教育方針を明確にした私立に入れたがる人が多いのも当然です。

 

 オランダでは、いわゆる義務教育の経費は学校の種類に依らず国家が負担する制度で、ひとつの町には公立の学校のほか、宗教の宗派ごとの学校、それに、シュタイナー式やモンテッソー式などの「オルタナティヴ・スクール」が共存し、それぞれの親の教育方針や宗教などに応じた学校を選択して通います(リヒテルズ直子『オランダの教育』)。学校は、一定数の生徒が集まらなければ経営が成り立たないため、校長には経営感覚が求められるそうですが、こちらも個人の能力だけで対応することはむつかしいので、それぞれの系列ごとの寡占的な競争が有効になります。

 現在の日本の教育の関する議論は、それぞれが公教育の主導権を取ろうと主張するばかりで、教育の効果を測定することも難しいようですが、オランダのようなシステムが適用されれば、さまざまな考えを実践に移して時代に対応することが可能になります。(本書 p391)

 

 たとえば、日本国籍を持ちながらインターナショナルスクールや各国の民族学校などにも無料で通うことができれば、国際化に対する対応としての利用価値も高くなります。さらには、日教組などの教職員組合が理想的と考える教育を施す学校を模索することができます。バウチャーは教師の数ではなく生徒の数に応じて支払われますから、生徒数が足りなければ教師も商売のスタイルを変えざるを得なくなりますが、そうした試練の中で、まさに自分の子供も通わせる学校で親として教師としての本音が表れた時に、案外社会に受け入れられる理想的な日教組教育が誕生するかもしれません。

 

 面白い例としては、ある学校が「あなたが1930年代のベルリンの労働者であるとして、ナチスを支持するようになった理由を述べよ」という課題を出し、日本ならば怪しからんと問題にされるだけで終わりそうですが、これが親に評判がよかったために他の系列の学校でも採用するようになったそうで 、その辺もコンビニどうしの競争に似ています。そうなると、教師も自身の思い付きを勝手に吹き込むことはできなくなり、自身の考えが系列校の標準的な方針になるような努力をすることになりますが、その方が教育現場で個別に悩むよりも自信を持って教育に臨めるはずです。(本書 p391)

 

 現実の学校経営は、ある程度ノウハウを共有化した寡占的な系列に属する学校が増えると考えられ、これをコンビニ化という形で表現したりもしています。

 

027-6 月謝無償化より通学費無償化を (6-1福祉としての公共交通/6-1-3高校生の通学費無料化/p324)   2011/8/20

 

 会社勤めのお父さんたちは通勤費の非課税枠という一種の補助金によって、都会の鉄道会社にとっては上客であるのに対して、学校に合わせて住む場所を選択できるわけでもない高校生は、親の可処分所得の中から通学費を負担しながらも、割引分は鉄道会社が負担するという、あまりありがたくない客になりますから、これだけでも通勤が中心の都会と通学が中心の地方とでの、経営上の不平等が固定されていることが分かります。
 明治期の小学校の設置は、市町村という基礎自治体の最大の行政課題で、これに対して上級学校の設立は、旧制中学校は府県が、大学や旧制高等学校は国がそれぞれ設立の中心的担い手となり、辺境部から相応の負担をして県庁所在地の町や大都市に進学させていましたが、こうして初期に設立された伝統校の存在はその町が抱える利権になったりもします。そうした現実を因襲的利権と看做すこともひとつの考え方ですが、とりあえず伝統は伝統として認めつつも、そうした価値に接する上での最低限の地理的な障壁を取り除く方法を考えてみます。

 

 高校生の通学費は、大都市周辺であっても、年間の通学定期は数万円になるはずですし、地方でバスを利用して通う高校生であれば、年間二十万円程度になることも珍しくはありません。そこで、住む地域によって高校へ通う上での不平等を、せめて公共交通の運賃負担の面だけからも是正するために、高校生の通学定期を全面的に無料にする政策を考えてみると、全国のJR、私鉄、路面電車の「通学定期」の収入が2400億円ほどなので、これに乗合バスの分を加えて、国全体で4000億円を負担することができれば、大学生や各種学校も含めた殆どの学生生徒は通学の費用負担を免れることができます。

 

 公立学校のあり方については多くの議論があり、男女別学の学校の存在から出席簿の順番にまで、いわゆる「平等主義」を適用するのに熱心な人々がいるようですが、そんな人々も、住む場所によって学校に通うための機会や負担が異なるという明確な不平等については、今のところ少し鈍感であるように見えますから、公費の負担があるので簡単には実現しないとは思うものの、こうした問題にも目を向けてくれればと期待しています。(本書 p326)

 

 アイデア自体の雛形はオランダの制度として実在し、日本共産党も古くから交通費の補助を唱えていたそうですから、オリジナルではありませんが、現政権が提唱した高校の授業料無償化策の予算が5000億円ほどだそうですから、授業料を受益者負担として残しつつ、地域格差の是正を図りながら間接的に公共交通への補助にもなる通学費の無償化に充てられた方が、バランスも効率も良い政策になると考えられます。

 

 大学生に関しては、オランダでは公共交通平日無料週末割引の通学生用パスと、平日割引週末無料の下宿生用パスのどちらかが48か月間貸与されるそうです。日本ならば、通年で利用可能な青春18切符のようなものを年間15コマ分ほど配れば、帰省やサークル活動のほか、研究や学会の活動などでの費用負担も軽減されて面白いと考えるのですが。

 

さいたま市(本書p370)
さいたま市(本書p370)

063-7 「風害税」のススメ 2013/5/12

 

 大風が吹いた日のニュースは、かつては傘をオシャカにしている人の映像が定番だったのが、最近では傘はおろかからだひとつでも前へ進めずに、強風の中で地べたに座り込んで途方に暮れている人の映像がよく流れるようになりました。これは、東京で高層ビルによるビル風の影響が増えたことが一番の原因だと考えられますが、同時に風が強くなるスポットはあらかじめ分かっていることが多いため、そうした場所にカメラを向けて見張っていれば、効率よく映像を得られることとも関連していると考えられます。
 自社の周りを観光地にするべく喧伝したテレビ局が、遠くからやって来た観光客を待ち伏せして、強風で動けなくなっている姿をニュースに使うというのは、いささか意地が悪い感じはしますが、ビル風自体の責任はテレビ局ではなく建築設計にあるはずですから、日本の近代建築が、いかに風を考えることなしに進んできたかを考えてみる必要があります。

 

 地震の多い日本で高層ビルが可能になったのは、耐震設計や構造計算の技術が進歩し、計算機を使ったシミュレーション技術が向上したことと関係がありますが、霞が関ビルをはじめとして、次々に高層ビルの建築を実現してきた実績を誇る(参照:大崎順彦『地震と建築』)構造設計の分野は、同時に時代離れした堅固な組織を形成しているとも言われます。

 

  技術官僚はずっと事務官僚から差別されていました。差別されているグループ

  はとまりがよく、それによって身を守ります。そのためには長老組織が必要

  になります。建築のことを言うと建築構造の大学の先生は神様みたいにギルド

  の頂点に座っています。技術官僚のギルドが、世の中で極端に差別されないで

  存在できるためには、国の官僚を頂点として底辺に市町村の技術公務員が存在

  するピラミッド型専門職業のヒエラルキーが必要でした。しかし、市町村長が

  決める「都市マタープラン」が一般化してきますと、市町村の技術公務員は県

  や国の役人の下にいつまでもかしずいている必要はなくなります。昔からのピ

  ラミッド構造がゆさぶられ始めました。
   伊藤滋市民参加の都市計画』:本書 p40)

県庁を訪れたおばあさんがビル風で飛ばされて意識不明の重体になった群馬県庁
県庁を訪れたおばあさんがビル風で飛ばされて意識不明の重体になった群馬県庁

そうなると、ことによると帝国陸軍に似た形で、都合の良くないことは黙殺してでも、高層ビルを建築し続ける方向に前進し続けるのが「組織」の論理になってしまっている可能性が高く、内部にいる人々が組織の暴走を止めることが難しいとすれば、そこには社会の側からのシビリアンコントロールの手法が必要になります。

 

 司馬遼太郎氏は「日本人の通弊」として「専門家畏敬主義」というようなものがあると言っていますが、詳細に見ると、アマチュアが積極的に興味を示す分野と、専門分野自体を敬して遠ざけ、専門家自身も素人に口出しされるのを嫌う分野との間では、同じ戦後の時期にあっても、その発展の仕方は異なるようですから、単純な専門家畏敬というものでもなさそうです。(本書 p44)

 

 日本が成功した分野であるメーカーの場合は、商人としての立場がその倫理的規範を形作り、PL法などよってさらに厳しい責任が課されるようになりましたが、今のところは、風害に悩まされた通行人の不満が高層ビルの設計者にフィードバックされるシステムはないと考えられているので、自治体などがその仲立をすることで、都市のコントロールに一役買うことも可能ではないかと考えています。

 

 高層アパートには、住人にとっては、地震の際のエレベータに閉じ込められたり使えなくなることがあり、近隣にとっては日照や景観などの問題があり、そうした不合理に対して現実的な評価や対策が確定してくれば、今のような人気は維持できなくなる可能性もあります。

 その中で、「ビル風」もしくは「風害」と呼ばれる問題はもっとも重要なものと考えられます。工業地帯や港湾地区、あるいはすでに高層オフィスが林立する地域ならば、高層ビルが一本増えてもあまり変化はないものの、低層の住宅地に高層アパートが一棟建つと、町の様相が一変し、暴風が吹きぬける殺伐とした環境に変わる可能性があり、これは地域に及ぼす「外部不経済」の一種と捉えることができます。空気の流れを扱う流体力学の分野は、ハードディスクや飛行機の設計から気象予報までの多くの分野でシミュレーション技術が発達し、高層ビルに起因する風害程度なら少し前の技術でも高い精度での予測が可能でしたから、以前に建てられたものであっても、風害の責任を設計に求め、この外部不経済を内部化することは不可能ではなく、具体的には「風害税」のような形で、自治体が事業主か一定階以上の住民に税金を課すことが検討されて良いと考えています。

山形県上山市(このケースは風害、景観、駐車場の点でも社会に与える不合理は小さい)
山形県上山市(このケースは風害、景観、駐車場の点でも社会に与える不合理は小さい)

 もちろん、実現は容易ではなく、高層階に住む富裕層が社会的責任を感じて気前良く負担してくれれば有り難いものの、地縁から自由な立場の中年の高学歴層ほど、社会での負担となると一般の土着の庶民よりも吝嗇ぶりを見せる可能性もあります。ただ、賢い選択の結果として、花火のたびに友人を招いて優雅な暮らしを誇ること目論んでいた人々ならば、たとえ少額でも税金を課されることは自慢の知性の否定にもつながるため、初めからそんな趣味は持っていないような顔をしたがるものです。そのため、風害税が検討されただけで、あるいはそうした可能性が広く認知されただけで、高層アパートの需要は一気に減退する可能性があり、あとは、どうしても必要のある人々が、相応の負担で暮らすような形になると考えられます。(本書 p370)

 

 友人の何人かも含め、都会ではもはや高層アパートメントでの暮らしは定着した感がありますし、複数の高層ビルが存在すると、場所によっては風害が軽減され、別の場所に風害のスポットが移るような現象もあると考えられますから、大都市圏では技術的に難しいとしても、特に必然性のない地方都市の旧市街地ならば、十分に可能な施策ではないかと考えています。

 

街道筋の裏通りの例(p420)
街道筋の裏通りの例(p420)

008-7 古い街並みを残す方法  201/3/6

 

 古い街道の多くは狭く家が迫った生活道路ですが、かつて国道などとして大型トラックが行き交っていた時期もあり、国道がバイパス化された今でもバス通りであったり、抜け道として利用する人も多く、生活道路としてあまり快適でもない少し危険で歩行者の少ない通りが多いのではないかと思います。

 

 時間が許せば、こういう古い街道を徒歩や自転車で通って、じっくりと見て廻りたいと考える人は多いと思いますが、沿線に人が暮らす生活道路としての環境を高めつつ、歴史的街並みを保存してそれなりの観光地としての環境の整備を考えた場合、裏道の建設と、それに伴う一方通行化というのが有効な手段であると考えられます。

熊谷市内の旧中山道(p420)
熊谷市内の旧中山道(p420)

 バス通りの場合は、一部のバス停は裏道に移りますから、裏道までの距離はあまり遠くては良くないので、一番奥行きのある家の1.5倍ほど、50~80mほどが良いのではないかと思います。裏道(あるいは新道)の方の沿線に家やお店を建てる人も出てくると思いますから、新道の沿線は新町として新しい雰囲気の街並みにしてしまえば、旧街道の本町の方は思い切って建築規制を施すことも可能になります。

 

 もし、観光客が増えて、さらにクルマの通行を規制したいということになれば、もう一方の側にも裏道を作ればよいわけです。
 こういう形でのまちづくりを国が支援してくれる制度でもあれば、なお良いのかもしれませんが、裏通りの建設だけならば市町村の単位でも出来る程度の事業が多いのではないかと思います。

 

(p420:7 暮らしやすいまちづくり /7-3 村を作る /7-3-2 村の街路の作り方)

 

079-3 地方都市が路面電車を導入する前にできること 2016/06/19

 

 路面電車の導入により中心街を活性化させるという発想は、西日本や欧州の地方都市を実地に体験した人々の共通の夢のようになっていますが、路面電車が走るようになっても、バス路線がなくなるわけでもありませんから、むしろ当面はバスの運行効率を向上させるための公共交通レーンを設置し、その後、まとまった需要のある区間に関して、同じ公共交通レーンを使って軌道敷の敷設をするという順序が望ましいと考えられます。

 

3-4 公共交通レーン

3-4-1 公共交通は速さが命
 大都市圏以外では公共交通の衰退が問題になっていますが、その存続を支える「収入」には、まとまった需要が必要であるものの、同時にサービスを供給するための「支出」に関わる人件費などの経費も重要・・・高速で走行する新幹線などは人件費の点では大変に効率が良く・・・ひとり1時間当り300万円の売上高で・・・人件費の取り分は非常に小さいことが分かります。

 これに対して、一般の路線バスでは経費の7割を人件費が占めるそうですから、平均速度の向上により経費の削減を実現する余地は大きく、・・・そこで、公共交通を一種の社会の制度あるいは財産として、この効率的な運行を社会が担う義務と捉えれば、一般車両を多少犠牲にしても公共交通の効率運行を図ることが必要・・・現行の道路体系では、バスの平均速度が一般の乗用車の平均速度を上回ることは少なく、郊外や農村部の道路では、走行速度そのものが高いので、これを向上させてもあまり効果はありませんが、信号や渋滞で平均速度が低下する市街地内では、これを改善することは大きな費用対効果が見込まれ・・・市街地内で10キロを15キロにするのは、ちょっとした工夫の積み重ねで実現が可能・・・

 

名古屋市の中央バスレーンの例。都心部ではバス専用、この付近(白壁地区)ではバス優先。
名古屋市の中央バスレーンの例。都心部ではバス専用、この付近(白壁地区)ではバス優先。

鉄道では、停車や待ち合わせも含めた時刻表上の平均速度を「表定速度」と呼び、バスや路面電車にも適用すれば、この「表定速度」を向上させることが目標になります。鉄道の場合は・・・インフラの出来が表定速度を決定すると言えますが、一般の交通と平面で交差しシェアし合うバスや路面電車の場合は、その表定速度が他の交通に依存するため、一般の交通との関係をきめ細かく規定することで表定速度を向上させる必要があります。
 一般的には、バスや路面電車の表定速度を向上させるには、次のような項目の改善が有効であると考えられます。

 

1.最高速度の向上
 ①法規の見直し、②線形の改良 など。
2.停車時間、加減速時間の短縮
 ③停車箇所の削減、④乗り降りの迅速化、⑤優先信号 など。
3.渋滞の影響の排除
 ⑥専用道路(軌道)、⑦専用(優先)レーン など

 

 1.の項目に関しては・・・実は2.と3.の項目に比べてあまり効果はありません・・・そうして⑦の「専用(優先)レーン」に関しては、前述のように市街地の片側2車線以上の道路は都市活動上の問題が多く価値が低いものなので、余剰のスペースを充てて公共交通のためのレーンを確保することが有効な方法であると言えます。

 

3-4-2 バスレーンをつくる
終日バスレーンのすすめ
 まず、現行で片側2車線のバス通りを考え、朝の通勤時間帯は外側の1車線ずつがバス専用になり、違法駐車などを排除するために平日は早朝から監視員が出るとします。朝の通勤時間帯にバス専用レーンが設定されるのは、この時間帯には通勤の一般車両が集中することと、バス輸送自体もピークを迎えるからで、ラッシュ時を過ぎるとバス専用レーンも解除されることになることが多いようです。実は、朝の通勤ラッシュも、時間を16分ずらしただけで渋滞が解決したという実験もあるように、わずかな時間の混雑に過ぎない都市が多いようですから、ピーク時に絞られている一般車両の車線を増やす必要性はなく、時間を限定せずに終日バス専用レーンにしても問題はありません。終日バス専用レーンならば、一般車両のレーンとの間に物理的な障壁を設ければ監視の必要もなくなり、規制はより確実なものにできます。
 朝の通勤時間帯とそれ以外の時間帯とでの違いは、沿線の商店や企業への配送、買い物客の一時的な停車、タクシーの客の乗降などが発生する点にあり、こうした活動に伴う駐停車を常に排除することは日常の生活や経済活動を妨げる事になり、本来の道路としての機能を果たせなくなります。たとえ歩行者天国の商店街であっても、許可された時間に配送の業務がなされる場合が多いのですから、混雑時を避けるように時間を決めて駐停車を認めることは可能で、そうした不可避な駐停車の存在が公共交通の運行に影響を与えないようにさえできれば、比較的柔軟なかたちでのバスレーンの維持が出来るものと考えます。

 

 バスレーンの設計のための条件としては以下のようなものが考えられます。

 

①.道路の幅員
②.一般車両の車線(一方通行か往復か)
③.バスレーンを一方通行にするか往復分確保するか
④.バスレーンを中央部に配置するか歩道側に配置するか
⑤.バスと一般車両とを完全に分離するか一部共用にするか
⑥.駐車レーンを確保するか否か

 

 ここでは、歩行者は信号機なしにどちらのバス停へも安全に渡ることができ、バス停自体やその周辺の安全も保たれることを前提にするものとします。そのため、独立したバスレーンを往復分、車道や駐車レーンも往復分確保し、横断のための安全島を配置するには全幅は25m以上になりそうですが、あとは安全と効率を保ちながら狭い通りに適用する方法を考えていくことになります。

 

中央のバスレーン

 一般車両によるバスレーンへの影響を排除する上で確実なのは、車道中央部にバス専用レーンを設置して一般車両との間を物理的に仕切ることで、実際には、物理的な障壁がなくとも影響を排除できると考えられ、わずかに心理的な抵抗を感じさせる程度の段差でもあれば十分でしょう。

 

図3・31 中央バスレーンの例(p136)
図3・31 中央バスレーンの例(p136)

ただ、昔から、中央に公共交通のレーンを設けることには、警察や国土交通省は難色を示しているとも言われ、確かにバスに乗る人は、車道を越えて安全地帯に渡る必要があり、中にはバスが来るのを見て慌てる人もいるでしょうから、そうしたケースの安全を保つ為の処理は必要です。
 とりあえず、一般的な形状の例を図3・31に示してみました。中央バスレーンでは中央分離帯は不要ですが、将来的に路面電車の軌道を敷設する可能性が高い場合は、中央にポールを建てる程度の余地を残しても良いでしょうし、1m程度の幅の分離帯は、横断の安全を保つための安全島としても利用が可能です。バス停の処理は難問ですが、乗り換えのあるバス停や電停などが交差点近くに設けられることが多いのに対して、ここでは交差点どうしの中間に設けることを提案します。地方都市では、ターミナル以外で乗り換えることは少ないでしょうし、もし乗り換えの便を図ろうとしたら、一部の路線を共通にして、同じバス停で乗換えができるようにした方が負担も少なく安全です。横断歩道は停車するバスの前に設け、通りの両側からバス停に渡る事が出来るように一直線にします。このような配置により、バスのすぐ後ろでの危険な横断はなくなり、通りの反対側のバスに乗る場合も、乗る意志があることを運転手さんにアピールしてから横断して乗せてもらう様な形になります。

 

 そのほか、十分な幅員がない場合のアイデアや、歩道側にバスレーンを設ける例なども示していますが、少し大きな町なら必ずある、都市の象徴としての二車線道路を改良することで、衰退した市街地を居心地の良い空間に戻していくことは十分に可能であると考えています。

 

074-5 郊外の業務地区 ~テリアとの再会~ 2015/04/24

 

 そのあいだもわたしは、ときどきひらいた窓から外の景色を眺めていましたが、そこからは、アムステルダムの市街の大半が一目で見わたせます。はるかに連なる屋根の波、その向こうにのぞく水平線。それはあまりに淡いブルーなので、ほとんど空と見分けがつかないほどです。

 それを見ながら、わたしは考えました。「これが存在しているうちは、そしてわたしが生きてこれを見られるうちは -この日光、この晴れた空、これらがあるうちは、決して不幸にはならないわ」って。(アンネ・フランク「アンネの日記」)

 

 地方の県庁所在地クラスの古い町へ行くと、その地方で一番の銀行の本店が新古典調などの壮麗な建物で営業を続けていて、おおむねその辺りがその町の中心地であった往時の繁栄が想像できるのですが、これは日本だけでなく、欧米の古い都市でも共通して見られる傾向ではあるものの、アメリカや日本では都心部のその場所で高層化されるか、都心の衰退の中に取り残された遺物のようになっているのに対して、欧州では少し異なる考え方で古い町の都心を美しく保つことに成功しています。 

市内にあった旧本店, ABN Amro's Old HQ, Vijzelstraat Amsterdam
市内にあった旧本店, ABN Amro's Old HQ, Vijzelstraat Amsterdam

 アムステルダムの場合は、強い国土計画が機能した結果、市内で発展した古い企業は早い段階で町のはずれの環状バイパスの沿線などに移転したことで、旧市街は小さなオフィスや商店と住居という昔ながらの暮らしを変わらず続けることができます。

 

 2002年にアムステルダムを訪れた際に、当時市内に残っていた唯一の大企業と言えるABNアムロ銀行(アヤックスのスポンサーとして有名)の本店ビルの裏手の小さなスクエアに、テリアの一種とおぼしき犬の像を見つけて、気に入って写真に収めておいたのですが(左上写真)、数年後に同じ場所を再訪するとそれが見当たらなくなり気にかけていたところ、その後、国鉄の南(Zuid)駅周辺のビジネス街の新しい高層ビルの前の空間に、まさにその像をを発見して安堵したと同時に(左下写真)、もしやと思い通勤途中の若いビジネスマンに訊ねてみたところ、その高層ビルこそが銀行の新しい本店で、つまり、本店とともにテリアも引っ越してきたものであったようです。

環状バイパス沿いに移った新本店, ABN Amro's New HQ, Amsterdam Zuid
環状バイパス沿いに移った新本店, ABN Amro's New HQ, Amsterdam Zuid

 アムステルダムは、アムステル川に築いたダムを中心に発展した町で、ダム広場という王宮に面した祝祭空間を町の中心とすると、中央駅は北へ500mほど、旧本店(左写真左)は南へ1kmほど、新本店(左写真右)は郊外とは言えダム広場から4km程度で、高速道路A10号線という環状バイパスが通り、国鉄の中央駅へ寄らない快速も南駅には停車するのでよその町からはアクセスが非常によく、市内に住む人は自転車や路面電車で通うのにちょうど良い距離になります。

 このほかにも、10号線沿線には大きなオフィスビルが立ち並び、新しい近郊電車の路線も建設が進んでいますが、その業務地区自体は高速道路の両側100mずつ位の細い帯状の地域に限定されますから、それほどのボリュームにはなりませんが、それでもオフィス需要を賄うには十分な規模になると考えられます。

 

 オランダは、住宅や旧市街の意匠に関しては極めて保守的で厳しい規制がなされ、隣国のベルギー人でさえもその規制の厳しさには辟易とさせられると言っていましたが、白い石を好んで使うベルギーの明るさとは対照的に、赤煉瓦や深緑色の塗装を中心とした地味な色使いを徹底するオランダの景観は、はじめは少し暗い印象がするものの、慣れてくると次第にこの落ち着いた色調こそが大きな魅力であることに気づかされるようになります。
 それと同時に、郊外などの新しい業務地区では、大胆なデザインの建築物が目を引くため、建築家が国際的に競い合うための舞台も用意されています。

 

 旧市街には、伝統的な町並みや、その地で育った人びとにとっての思い出の路地が残されていますから、その中に奇を衒った現代建築などが建てられることは、多くの論争を引き起こします。建築家の中には、表現の自由などを楯に、むやみに奇抜な「作品」を作りたがる人もいるでしょうし、ともかく目を引くことで集客を目指そうとする施主もいるはずですから、そうした現代建築作品の競演の場が、町の景観にとって邪魔にならないところにあることは、望ましいこと・・・

ING Group, Amsterdam Zuid:環状バイパス沿線にあるオフィスビル:本書p296
ING Group, Amsterdam Zuid:環状バイパス沿線にあるオフィスビル:本書p296

  そのため、郊外に業務地区ができれば、写真5・12(右)のように、思い切って冒険をして目に付くビルを建てることも容易になり、一方で、旧市街の方は、思い切った建築規制や建築協定によって、町の伝統にしたがった保守的な景観に戻していくことも可能になり、市街地から外周部に立ち並ぶ現代建築群を遠景として眺めるのならば多くの人に受け入れられるものになる・・・(本書 p295:現代建築の競演の場として)

 

 アンネ・フランクが見たアムステルダムの屋根の波は今もほとんど変わらないままで、水平線が空の色と溶け合う辺りに近代的なオフィスビルが並ぶところだけが時代の変化になりますが、自転車や路面電車が中心の市街の交通もあまり変わってはおらず、要はヒトラーが進行する以前からの、静かでにぎやかな暮らしが今も保たれつつ、時代の変化に合わせてお父さんたちの職場が郊外の近代的なビルに移ったということになります。

 こうした都心と郊外との配置の関係は、欧州ではごく常識的なことで、中世以来の都心部に近代的なビルを建てる発想などは、若いころのル・コルビュジエくらいにしか見出せないものですが、日本では、森鴎外ひとりが、都心機能を郊外に分散させて鉄道で結ぶことの効率の良さを示しています。

 

 似たような考えは、森鴎外が明治二十三年に書いた「市区改正概略」という論文にも示されています。その梗概は、

 パリのような都心一極型の町は、わかりやすくて便利に見えるけれども、人が多くなると機能が滞るおそれがあり、(ロンドンのような)多極分散型の町は、移動が伴い不便に見えるけれども、交通網を密にすれば解決できるので、多極型の町のほうが優れている、既成市街地の中心地の数や広がりは歴史的に決まっているので、これを分けたり集めたりして交通網の変革を行うことは難しい、町の拡張や再開発は外側の方がやりやすいが、既存の中心を温存するとすれば、一極型の町の交通阻害を解決しなければ、新たな町の建設は難しい、ウィーンは環状街路の建設によって、都心での交通の混雑が減ったが、環状街路は内からも外からも便利なので、いずれショッピング施設も集まり、人々の目的地になる、これは一極型の町の周囲に幾つもの小さな中心を作り、多極型の町に変えたようなもので、街区の建設はもちろん、新たな官公庁の建設に際しては特に考慮すべきである、ごく小さな町ならばともかく、大都市に関しては、交通の便利を考えて官公庁の配置を考える必要があり、多極分散型の方が優れていることを忘れてはならない。
といった内容です(森鴎外「市区改正概略」/『鴎外全集 第二十九巻』岩波書店) 。

 

 しかしながら、その後の日本で顧みられることは少なくなったようで、殊に戦後アメリカの影響が強くなってからは、日本人の都市に関する洞察はすっかり混乱を来してしまったかのようにも見えます。

 たとえば、日本都市計画学会の会長を務めた山田正男氏でも、そうした発想をすることはできなかったのか、

 

 その山田氏は、首都高速道路の生みの親としてその計画で辣腕を振るい、首都整備局長時代には「山田天皇」と呼ばれるほどの存在であったそうで(越沢明「復興計画」中公新書)、社会人類学者の中根千枝氏との対談ではこのようなことを話しています。

  山田 特に戦後の経済成長のおかげで、かつては併用店舗や併用事務所で職住一緒だった下町の中小企業が、業務の拡張や税金対策やらで何とか株式会社ということになって、社員も多くなる、事務所や店舗を拡張する、そこで職住分離し、住宅は山の手の住宅街に構える。---というようなことで、先ほどの中根さんのお話の山の手の三代目の後釜に侵入してきた。
 その後になって、職住近接などと出来もしないことを素人はもっともらしく行っているけれども、元来、下町のよさは職住一体であるところにあったのに、いまやこの連中は職場を住宅と分離して、住宅は山の手に構えることをもって理想としている。今は朝から晩まで同じところで働き、そして寝ろといっても無理でしょう。本当はこのほうが労務管理も行き届くはずですが、第一、社長様自身がベンツなんかで通勤したい。ですから通勤人口、通勤交通が増えるのは当たり前だし、町を愛する心がなくなる。下町の良さもなくなって、中途半端な町ばかりになった。あれはどういうわけですかね。職場と住居を分離することによってブルー・カラーからホワイト・カラーに昇格したとでも思っているんですかね。それとも家族や使用人が一日中同じところにいると、生活が近代化しないということでしょうかね(本書p35:「山田正男『明日は今日より豊かか ~都市よどこへ行く~』政策時報社」から引用)。

 

 つまり、発展する中での都市内での再配置に関して何のヴィジョンも示すことのないまま、町の経済を担っている商人の選択を見下しているわけですが、プロを自認し戦後の都市計画の分野では最も優れた人物の認識がこの程度でしたから、これが当時の日本の実力の限界と考える必要があり、日本の都市計画については、生半に成功した気になって過去の経過に縋るよりは、はっきりと失敗であったことを認識して、発想をを変えざるを得ない時期に来たと考えています。


 日本では他人の金で商売をする業態ほど都心部でオフィスを拡大していく反面、自分の金で商売をしたり暮らしたりする人々は費用と利便を勘案すると割に合わなくなってよそへ移転していくのが一般で、それが都市の歴史や伝統の担い手の喪失も招いて、さらなる衰退にもつながると考えられますから、都市の文化や暮らしを保ちながら時代に合った改変を加えていくため、調子のよい意見に引きずられることなく、慎重に考えを進める必要があります。

県庁が郊外へ移転した水戸の中心街
県庁が郊外へ移転した水戸の中心街

 県庁所在地の町が、東京と同じ問題を持っているとしたら、それは県内の各地や中央から流れてくる資本や利権が集中してひとり勝ち状態になることと、都市自体が空洞化して歴史や伝統が失われることで、いずれも県庁のあり方に原因の一端があると考えられます。
 東京でも地方都市でも、空洞化と言われるものの実体は、夜間人口の空洞化と、それに伴う商業活動の衰退になります。夜間人口に関しては、地価に見合った利便性が得られないから郊外への転居が進むわけで、夜間人口の減少で近隣商業地が衰退し、また商業地として地価に見合っただけの集客力が得られないから商業活動が低迷することになり、それらが相乗的に進んで空洞化するという形になります。

 県庁付近の生活環境としては、

1.近隣に業務地区が増えることによって、一般の住宅地よりも地価が高めに維持される。
2.業務地区が増えると周辺の自動車交通の負荷が増大し、生活環境が悪化する。(3-2-2参照)
3.業務地区の増大に合わせて道路の拡幅が行われると、さらに生活環境が悪化する。
4.業務地区が広がると、病院や学校などは郊外へ移転しやすい。
5.業務地区への通勤者は、日中は買い物をしないし、お父さんたちは夕方に買い物をすることも少ないので、商業活動には結びつかない。
6.県庁に近いほど路上駐車などの監視が厳しいので、クルマで気軽に買い物に行くことが出来ない。

などの形で、業務地区周辺の夜間人口は減少し、商業活動も衰退すると考えられます。

 こうした見方には反論もあるでしょう。
 例えば、道路の拡幅は行政の意志に依存するはずですが、これも県庁との関係である程度自動的に進む可能性があり・・・事業の評価の際には「中心都市の県庁または市役所」を起点とし・・・郊外では実測値が設計速度に近いので、条件を満たそうとすると県庁に近い地域の道路の容量の拡大の形になる可能性は高く・・・業務地区に近いことが新たな住宅需要を作り出すという反論も考えられますが、これも現実的ではなさそう・・・周辺の地価はオフィスビルの価格に引きずられて高騰して固定され・・・自然に任せていたのではいずれ住居に適した環境ではなくなります。(本書p285「空洞化の原因は県庁?」)

 

 かつて、地方都市の旧市街の大店の商家は、小売と卸とを兼ねてその町の流通を担うものでしたが、戦後のモータリゼーションの流れで手狭になり、小売部門だけを残して卸部門を郊外の卸団地に移転させるなどし、同様に、市内の町工場も、旧市街の生活環境意識の高まりなどに応じて、郊外に新設された工業団地などに移るケースが多かったようで、その時々の社会の状況に合わせて、場合によっては住む場所を変えてでも対応してきたことになります・・・
 県庁などが郊外へ移転したばあい、旧市街でのオフィス化の圧力は弱まり、地価も落ち着くので、住宅地や商業地としての利用価値は高まります。従業員の少ない小さなオフィスや、小売業的な要素の高いものは、都心部に残った方が仕事がやりやすいことも考えられ・・・そのため、新たな企業を起こす場合は、初めのうちは街なかの近隣商業地に小さなオフィスを構え、規模が拡大して手狭になったときには、郊外の業務地区に本格的なオフィスを借りるか自社ビルを構えるという流れが生まれる・・・(本書 p292:「郊外業務地区と旧市街との関係」)

 

 国土交通省は、いまだにオフィスの郊外移転という考え方に踏み切れずにいるようですが、地方自治体が国の一役所の立場に左右されることなく、オフィスの郊外展開を進めることができれば、旧市街を暮らしやすく安全で賑やかな街に変えていくことは非常に容易なものになります。

 

乗り換え駅の構造案(本書p269)
乗り換え駅の構造案(本書p269)

030-5 半立体化した乗換駅   2011/9/15

 

 ここは短いので、全文を紹介。

 

 大都市圏以外では、乗換駅の乗り換え効率が問題になることは少ないと思われるので本論からは少しはずれますが、4-3-1で考察したように、人が通れる高さを国土交通省が推奨する2.5mか、場合によってはそれ以下でも実用上は問題がないことを前提にすれば、比較的建設費が掛からない方法で、乗り換えの負荷を低減して効率を高めることも可能になります。
 図5・9の①と②のような従来型の乗換駅では、水平方向に場所をとることや、乗り換えのための昇り降りの回数が多く、バリアフリーのためのエレベータやエスカレータの設置数も増えることになります。
 それに対して、内側の二線を4mほど高架化することによって、その下のスペースをホームにしたものが③で、東京のJR代々木駅 のように反対方向への乗り換えの多い駅には適しています。

 快速と緩行線とが並行し、同一方向での乗換えが多い駅には、④のような形が有効で、5mほどの高架によって実現します。

 また、③、④のいずれも、一基のエレベータで賄えることも特長になります。

 こうした手法を応用すれば、地方の小さな駅などで一方向にしか出口がない場合に、⑤のような形状にすれば、乗客の負荷はもっとも小さくできると考えられ、都会でも地下鉄の駅などには応用できる箇所があると考えられます。

(5.都市の装置/5-1.都市の中の駅/5-1-2.快適な駅とバスターミナル/・半立体化した乗換駅: p269)

 

 文中の「図5・9」というのは、上図の左側に相当しますが、現行の乗り換え駅の形状 ① ② に対して、鉄道自体の立体交差を伴わずに、駅だけを半立体化してホームを上下二段にすることで、乗り換えの便を良くするというアイデアが ③ ④ になります。
 例えば、Wikipediaの「対面乗り換え」の項にもその英語版にもこの手のアイデアは載っていませんから、これは拙著のオリジナルと言っても良いのかもしれません(もちろん専門の論文で出ている可能性は否定しません)。

 

 乗り換えを考慮した駅というのは、むしろ在来の鉄道の厳しい制約の中で苦心の末うまく工夫されている例が見られるのに対して、フリーハンドで実現できる新線ほど考えられていないケースも見られますから、この辺は「交通工学」の遅れの一つと考えられます。

 横浜市の港北ニュータウンには、巨費を投じた地下鉄路線が交差する箇所がありますが、残念ながら二つの乗り換え駅(センター北、センター南)はいずれも ① タイプで、広い土地を占める割にはホームも狭く、これが仮に上図の右側のように3つの駅が設定されていれば、線路自体の交差はなくても乗り換えの効率が高くなっていたでしょう。

 蛇足になりますが、新宿駅を中心とした中央線緩行線と山手線との乗り換えに対して、この3つの駅の配置がなされれば、乗り換えの効率のほか、新宿駅への集中も緩和されて面白いと考えていたりします(南は代々木駅で、北は西武新宿の隣の新駅が有望で、ただし実現の可能性は絶望的に低いと思われますが)。

 

追記 2012/11/24

 

 山手線の品川-田町間の泉岳寺駅近くに新駅ができることが決まったそうですが、今のところ山手線と京浜東北線とが同じホームで乗り換えられるようになっているのは田町と田端の間であり、新駅の地点での線路は、図中①の形態の品川駅と同じ位置関係ですから、仮に新駅の形態を④のように出来れば、占有面積も小さく、工事費を抑えた形で、同方向の乗り換えの便を図ることが可能になるかもしれません。

 コンコースは3階の高さと地下との両方に通すことも可能になります。

 

 もうひとつ、京浜急行品川駅は、仮に図中⑤の形態を取ることができれば、JRとの乗り換えの効率が高くなる可能性があります。

 

078-5 郊外ターミナル駅の新設 2016/04/30

 

(5-1-1:結節点としての駅/郊外ターミナル駅の新設 本書P263)
 もし、その町の中央駅付近が高度に市街化され、結節点としての機能の拡充が困難な状況ならば、郊外の長距離列車ターミナルの新設を視野に入れても良いと考えられます。
 例えば、ある町の中央駅に多くの路線と商業施設が集まっている場合、大都市へ向う特急列車は、その駅の近くからばかりではない広範な地域からの利用者があり、朝早く出て夜遅く帰るケースも多く、駅までクルマで行く割合が高くなるので、市街地の中の中央駅は便利とはいえない立地になります。
 そこで、もうひとつのターミナル駅をバイパスからのアクセスの良い郊外に新設し、無料の駐車場を設け、レンタカーなどを充実させます。特急列車が中央駅と新駅の両方に停まれば、ビジネス利用者は指定席をとって新駅から乗る方が便利なケースが増えてきますし、観光で訪れてレンタカーを借りる人や、観光バスに乗り換える団体客にとっても便利なものになる可能性があります。
 新駅は、できれば大都市に近い側に設け、そうなると中央駅到着は五分程度遅くなりますが、半分くらいが前の駅で降りてしまっていれば、混みあわずに済みます。
 似たような考えは新幹線の計画にもあったそうで、角本良平氏によると、大都市の郊外に新設された新横浜や岐阜羽島、新大阪に関しては、できれば広い駐車場を設置するべきだったとしていて、都心ターミナルと性格の違う駅を目指していたことが分かります(角本良平『新幹線開発物語』中公文庫)
 この郊外ターミナルが定着してきて、新駅だけで十分と言うことになれば、いずれ特急列車は新駅のみ停車ということも可能になり、旧市街自体が重要な観光地であるような場合も、新駅を市街交通の終点くらいに設定すれば、十分に便利なものにできると思われます。
 では、旧駅の方は寂れるかというと、クルマでのアクセスを重視する必要がなくなりタクシーの割合も減るので、市街地の中心駅として、公共交通や徒歩との結節点としての機能はむしろ高まる可能性があります。また、長距離列車がなくなった分だけ、操車場などの施設に余裕ができれば、これを駐輪場などの結節点施設に転用することも可能になります。

 

 北海道新幹線全通時の終着駅は札幌駅になりますが、中央駅に十分なスペースが取れないとのことですから、ならば札幌駅は2線2面の通過型の駅にしてしまい、これに加えて札幌の東の郊外のたとえば白石辺りに終着駅を設けて十分な数の駐車場を備えれば、自動車などでアクセスするには便利な駅になります。

 

上:7・13 オーストラリア ブリスベン/下:7:14 宇都宮
上:7・13 オーストラリア ブリスベン/下:7:14 宇都宮

076-7 電柱考 2015/08/07

 

 ちょうど、小池百合子・松原隆一郎「無電柱革命」という本を読んだので、自著の電柱に関する考察を紹介します。

 

7-2-4「街のアイテム」(本書p408):

 日本に来たアメリカ人などが、日本の街を見上げて、電線が張り巡らされた空を醜いと感じることは多いようで(アレックス・カー『犬と鬼』)、そうした事実を以って、電線の地中化は道路財源を使った公共投資のテーマとしてクローズアップされるようになりましたが、幸か不幸か事業としてはあまり進んではいないようです。実際には、写真7・13のようにオーストラリアでも住宅地に馴染んだ電柱が見られ、写真7・14のように、電線は地中化されたものの街路樹が消えた通りもあり、その考え方や技術が成熟したものになったとは言いがたく、今の段階で性急に飛びつく必要はなさそうです。

 景観の問題としては、「電力電線の問題」「電柱の問題」「電力以外のケーブルの問題」とで分けて考えるとわかりやすく、それぞれ技術的に異なる問題を抱えていると考えられます
     
①.電力電線
 欧州の都市で電線の地中化が進んだ背景には、電気の普及以前にすでに都市の形態が成熟し、地中化の条件が整っていたことがあるそうで、一方アメリカでは十九世紀末のニューヨークでも裸電線が空中に無数に張られ、当然感電事故も多かったので、安全のために地中化を進めざるを得なかった事情があるようです(松原隆一郎『失われた景観』) 。


 日本では、明治以来安定した電力供給が第一とされ、アメリカよりも半世紀出だしが遅れた分だけ電線の被覆技術が発達したこともあり、地中化の必要性は大きく異なっていたという背景があるようです。
 地中に埋設する場合、電気絶縁のための費用が嵩み、2万ボルトの基幹系統だと1㎞当たり10億円ほどが相場といわれていますから(『失われた景観』)、路面電車軌道の建設費の半分ほどに相当します。
 また、アメリカで一般的な地下室も、日本では台風などの豪雨が地下を襲う可能性が高いのと同様に、電線の埋設に技術的に難しい事情も多いようで、現在の日本ではすべてを地中化するのではなく、電柱の上にあった変圧器が地上に設置される形が一般的です。

左上:7・15 広尾/右上:7・16 浦和/左下:7・17 自由が丘/右下:7・18 栃木
左上:7・15 広尾/右上:7・16 浦和/左下:7・17 自由が丘/右下:7・18 栃木

 変圧器そのものは年々小型化が進んでいるそうですが、初期に地中化された通りでは、写真7・15のような巨大な変圧器ボックスが数多く残され、中には写真7・16のように明らかに危険なものも見られ、依然としてその処理は難しい課題のようです。景観を考えて地中化を行った町では、写真7・17、18のような種々の工夫が見られるものの、そうまでして地中化するのなら、もう少し違う考え方もあったのではないかと感じられることもあります。


 かつては、祭りの神輿が電柱にぶつかって変圧器が落ちることなどもあったそうですが、現在ではクルマが電柱にぶつかって電柱が倒れるようなことになっても変圧器は簡単には外れない程度にはなっているようですし、実は変圧器にはたいへんな高電圧がかかっているので、地上の変圧器にクルマがぶつかれば大電流が流れて発火することも考えられ、現実にはその危険性の方が心配です。


 電力電線の密度は、その町自体の面積あたりの電力の使用量に依存するようで、その密度が、電力会社が社会責任を考えて地中化を行う条件を決定するそうですから(『失われた景観』) 、特別大きな事業所でもない限り、急ぐ必要はないように思われます。

 

②.電柱
 地中化で電柱を撤去しても、地上に変圧器が残りますが、それ以外にも街灯や信号機や標識には必ず鉄柱が要ることになるので、それらを総合的に勘案した上で電柱の撤去が得策かを考えなければなりません。

左:7・19 デン・ハーグ/右:7・20 麻布十番
左:7・19 デン・ハーグ/右:7・20 麻布十番

 実は、欧州の町では、街灯も、通りの両側の建物の間に張ったワイヤーに取り付けられるケースが多く(写真7・19)、また中世の町などでは建物の壁面に公共の街灯が取り付けられるケースも見られますが、どちらも日本では難しいでしょうから、街灯のための独立した鉄柱はいずれ必要で、せっかく電柱を撤去しても鉄柱の数は増えてしまう可能性もあります。これに対して、麻布十番の雑色通りという8メートルほどの幅の小路では、街路の整備に伴って電柱も一新されましたが、街灯などの機能が初めから組み合わせられ、写真7・20のように、ちょっと細身で渋いこげ茶色に塗られた、町並みによく馴染むものに代わり、地上は変圧器のような邪魔なものがなく、狭い道路にはこういう解決方法が合理的であることを理解させられます。

 

③.電力以外の電線
 最近では、人びとが空を走る電線のわずらわしさを意識する場所は、繁華街のメインストリートなどよりも、住宅地や近隣商業地の細い路地に変わりつつあるそうですが(『失われた景観』) 、昨今の商店街の通りの上空の雰囲気を重くしているものは、電力電線よりも、電力以外の電線の量が格段に増加していることであると考えられます。

 

 これは従来からある電話線に加えて、最近の通信社会を反映してケーブルテレビや光ファイバー、セキュリティ用の通信ケーブルなどが急速に増え、電波障害の対策のための被覆などもあって太いものが増えています。また、電力電線が6~8mの高いところに張られているのに対して、通信ケーブルなどは自動車の建築限界である4.5mの高さギリギリに張られているケースが多いため、余計に目に付きやすいようです。
 けれども、電力電線が一般の住宅地でも6千ボルトほどであるのに対して、通信用のケーブルはせいぜい電話線の四十数ボルト程度ですから、埋設する際の絶縁の困難さは大きく異なり、簡単に言えば、電力以外ならば直径1メートル程度の暗渠でも設ければその中にまとめて埋設でき、こちらだけならば費用は数分の1で済みそうで、電力電線だけになってしまえば、空の風景はすっきりと軽々としたものに戻ります。

 

 こうしてみると、街路の景観を考えるのならば、電力とそれ以外とを分離して、電力以外の地中化を優先的に検討し、電柱は街灯や信号機、標識などの機能を盛り込むことで、むしろ地上の空間をすっきりとさせ、電力電線の方はよその町の失敗する姿を眺めつつ、変圧器の問題が解決するのを待っても良いと考えられます。

 

共用廊下型との比較(p426)
共用廊下型との比較(p426)

060-8 階段室のある集合住宅 2013/01/19

 

 テレビで欧州の都市の画像を見ると、決まって道路の両側に建築線の揃った四、五階建ほどの建物が並んでいるものですが、これらの多くは一般の集合住宅であり、そこには戦後の日本で普及した共用廊下型の集合住宅にはない合理性が見られますが、そのポイントになる設備はこの「階段室」にあると見ています。

 

 階段室のすすめ
 エレベータの出現以来、この存在を前提とすることでビルの設計の自由度が高まり、高層の集合住宅なども現実のものになりましたが、反面、高層アパートを前提にしてしまうと、エレベータの処理が足枷となって設計の自由がなくなるケースもあると考えられます。(本書 p424)

 

 共用廊下型住戸の一般的な間取りは、共用廊下に面して二部屋、奥へ進むとキッチンやリビングが並ぶ「田の字型」という形になり、共用廊下に面した部屋の窓には鉄格子が入り、室内の音が洩れることを考えると普段も閉めたままになり、明かり採り以外の用を成さないものになります。
 階段室がある集合住宅ならば、対向する二面が自由に窓をとり、開け放すこともできる面になるため、風の流れは十分に確保することができ、日照の面でも有利で、通りの側と中庭側の両方を眺めて暮らすことができます。

 

 避難路の確保
 避難路として使われる共用廊下は容積率に含まれない規定がありますから、法律としてはこうした形態を推奨しているようにも見えますが、階段室の場合も、避難路としての条件を満たす構造であれば容積率に含めずに済むようですし、むしろ現実的な機能の高い避難路になると考えられます。(本書 p427)

 

 階段室は通りの側と中庭側の両方へ避難が可能なのに対して、共用廊下の両端に設置される非常階段は住人の目が行き届きにくいために犯罪の温床になったり、共用廊下で犯罪を犯したものが、この非常階段を通ってたやすく逃げてしまった例など、さまざまな危険性が指摘されています。

1.5間×6間の階段室の例(p425)
1.5間×6間の階段室の例(p425)

 階段室の利用
 階段室は、できれば明るく開放的なものにして、お向かいや中庭を挟んだ住戸からも見通せるくらいのものが望ましい・・・夏は、日差しだけをコントロールしつつ、常に風が通り抜けるようにして・・・冬は、そうした排煙と換気の機能を維持しつつ、なるべく奥まで日が入る、明るく暖かいものに・・・夜は常夜灯に加えて、センサーで点灯する照明を設ければ便利でしょうし、防犯にも役立ちます。・・・要は、階段室は、どこからも見える開放的な場所でありながら、部外者が立ち入らないエリアということになります。
 階段室の入口はオートロック式にできますが・・・ひとつの階段室を利用するのは挨拶し合う顔見知りの関係になり・・・郵便受けは、一階に各戸分のものを設置することになり・・・友人が来た場合にはインタフォンで呼び出して、内部からオートロックを解除・・・階段室は半プライベートの空間なので、部屋着のままで新聞を取りに行く程度は可能で、同時に半パブリックな空間でもあり・・・多くのメンテナンス作業がこの階段室ででき、留守の間に作業者が住戸に入ることも少なくて済みます。(本書 p428)

 

 テラスハウスは二階建てのメゾネット式が基本になりますが、中層の集合住宅であっても、階段室の存在により、二面に開口を持つ住戸の設計が可能になり、これもテラスハウスと呼ぶ場合があります。また、隣家と面を接している日本の伝統的な町家造りも、商店街などで隣家とわずかな隙間を挟んで隣り合っている場合も、形態としてはテラスハウスに近いものと考えても良さそうです。
 また、一戸建ての住宅の防犯のために、隣家との境界までの隙間に木製の扉を設けてバックヤード(裏庭)との間を封じ、これをひとつの区画に適用して裏庭どうしを共通の庭のようにする手法も、アメリカの郊外の高級住宅地などには採用されているそうですから、防犯やプライバシーの上で効率の良い共通の手法であると言えます。

 

 テラスハウス成立の背景
 日本の町家とテラスハウスとの違いは、町家は個々の区画に小さな坪庭があり奥まで建物が続くのに対して、テラスハウスは建物を上に重ねる分だけまとまった規模の裏庭を設けられるということですが、歴史的に見ると良く似た要素も見られ、またイギリスのこうした形態も法律により誘導された面が強いようです。(本書 p432)

町家からテラスハウスへ(p424)
町家からテラスハウスへ(p424)

 イギリスの都市でも、間口が狭く細長い屋敷割りは町家に似ていて、ヴィクトリア時代にはD.H.ロレンスが「うさぎ小屋」と呼んだような都市の荒廃を象徴する粗末な住宅が、裏庭を埋める形で増えたのに対して、おそらくは功利主義の議論から派生し発展したと考えられる「公衆衛生」の立場から、建物の防火や衛生基準を確保するために、建替えの際に道路の幅員と裏庭の確保を規定した条例の施行によって、空き地を埋めていた劣悪な住宅が一掃されたと言われます。
 すなわち、市街地内では、街路だけが永続性、安定性のあるオープンスペースであり、また隣家と壁を接することが、まとまった裏庭を構えるための確実な方法で、この前後の空間の確保だけを規定した条例の枠内で目一杯に建てた形式が、今の中庭型の集合住宅になります。

 

 このように、日本には見られないテラスハウスという形式も、図8・5のように町家の住戸を通りの方に寄せて上に重ねたようなものであり、通り庭を階段室に置き換えることによって、いわゆるマンションとしても成り立つものになり、市街地内の一、二軒の商店を、ひとつの階段室の両側に住戸が並ぶだけの小さな集合住宅に建て替え、そうした形が軒を並べるようになれば、日本的な古い商店街も欧州の街並みのように変化して行くことになります。

 こうした集合住宅を想定すると様々なメリットが見つかり、たとえば、年寄りの大家が階下に、子供のいる家族が2~3階、若い下宿人が上の階に暮らすような、北欧を中心に推奨されているコレクティヴハウジングに似た暮らし方も可能ですし、中庭の使い方にもそれぞれの志向に合わせて工夫することが可能になります。
 たとえば自転車置き場を、階段室の一階を通り抜けた中庭側に置くことができれば、景観の面でも防犯の面でも好ましいと思えるでしょうし、駐車場のほか、幼稚園の中庭や、老人ホームとしての利用などの可能性も広がります(中身チラ見せ2「033-8 集合住宅の一階と中庭を老人ホームに」参照)。

 

オランダ アムステルフェーン
オランダ アムステルフェーン
ロッテルダム:一般的な集合住宅の中庭
ロッテルダム:一般的な集合住宅の中庭

033-8 集合住宅の一階と中庭を老人ホームに  2011/9/27

 

 本来は、以下のニュース(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110926-00000012-cbn-soci)へのコメントとすべきところですが、拙著では階段室型の集合住宅のヴァリエーションとしてひとつの例を示しています。(8快適な住宅/8-1テラスハウスのすすめ/8-1-3中庭のある住まい)

 

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「高齢者が引っ越さずに暮らせる地域を」-高齢者住宅機構設立シンポで宮島老健局長
  高齢者住宅推進機構は設立記念シンポジウムを開いた(9月26日、東京都内)
 住宅メーカーや社会福祉法人、医療法人などでつくる「高齢者住宅推進機構」(樋口武男代表理事)は9月26日、東京都内で設立記念のシンポジウムを開いた。この中で、来賓あいさつに立った厚生労働省老健局の宮島俊彦局長は、高齢者が住まいを移さなくても医療や介護などのサービスが受けられる地域を構築する必要があると強調した。
 宮島局長はこれまでの医療や介護をめぐる施策について、「供給者側の都合で、入居者を入れ替えてしまう」と指摘し、利用者側が心身の状態に合わせて医療・介護施設を何度も移動している状況を紹介。その上で、「同じ所にいながら、外から医療や介護、生活のサービスが入ってきて、高齢者がなるべく引っ越さなくても暮らせる地域をつくれるように変えないといけない」と訴えた。
 さらに、厚労省が地域包括ケアの推進を目指していることを説明した上で、「これまでのように病院だけ、施設だけというのでは(高齢者人口の増加を乗り切るのは)無理。これからは住宅政策とケアサービスをどう組み合わせていくか、多様な形が求められている」と述べた。
 また、国土交通省住宅局の川本正一郎局長もあいさつに立ち、全世帯のおよそ20%を占める高齢者単身世帯と高齢夫婦世帯を合わせた割合が、10年後には25%にまで増加すると指摘。「高齢者にとって安全で、安心して住める場をつくるのは、大きな政策上の課題だ」と述べた。
 このほか、「これからの高齢者の住まいに求められるもの」をテーマにパネルディスカッションが行われた。この中で、石原美智子氏(社会福祉法人新生会名誉理事長)は、利用者に対する一日複数回短時間の訪問サービスを提供すれば、「施設に入らないといけない、という不安感がなくなる」と述べた。また園田眞理子氏(明大理工学部教授)は、高齢者の新たな住まいの在り方として、▽持ち家のある単身高齢者向けの食事付き共同住宅「高齢者ペンション」▽持ち家のない重度要介護者が集まって住む「高齢者ホーム」―などの類型を提案した。
(医療介護CBニュース 9月26日(月)22時51分配信)

 

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 欧州で一般的な中庭のあるテラスハウスも日本の町家とその坪庭に通じていて、日本の坪庭が小さな個人サイズ、南欧ではもう少し大き目の個人向け、欧州北部では裏庭が寄り合ってまとまったサイズが多いものの、欧州でも技術評価や社会での議論を経て選択されたものでした。

 

 中庭に関する考え方は、
①.私有の裏庭か、コモン(共有地)か
②.閉鎖型か開放型か
③.あらたまった空間か、カジュアルな空間か
④.駐車場は内か外か
などの観点があると考えられます。

 

 その中庭の利用方法としては、中庭側に正門を設けることや、商店街の場合の利用法、子どもの遊び場、庭園、幼稚園、保育園などのほか、一階と合わせて老人ホームにすることなども提案しています。

一階と中庭を老人ホームにする例(p443)
一階と中庭を老人ホームにする例(p443)

 ここも短いので、全文を

 

 ・老人ホーム
 年寄りは一階を好む傾向が高いでしょうから、こうした傾向を積極的に利用して、一階と中庭を老人ホームにしてしまうことも有効であると考えられます(図八・八)。

 一口に老人ホームと言っても、介護の度合いによってさまざまだと思われますが、例えば中庭を比較的安全な環境にしてしまえば、徘徊する老人であっても心配はなくなりますし、介護などでの各部屋へのアクセスも、すべて中庭を介して行うようにすれば、効率も良さそうです。この場合も、中庭側にピロティを設けたような形が望ましいと考えられますし、冬にはピロティと中庭との間にガラス戸を立てて、暖かい環境にすることも有効なのではないかと考えられます。
 これまでは、老人ホームというと、ともすれば人里離れた山の中に建設されるイメージがありましたが、そうなると訪ねてくる人も稀になり、外の人を訪ねていくこともできないので、その環境に馴染めなければ、逃げ出せないように隔離されたような老後にもなりかねません。むしろ、年寄りにとって大事なことは、気の合う知人を訪ねて自由意志で外出することや、子どもたちが通りで遊ぶ姿を眺めることなどで、ある程度社会に解放されなければ息苦しく感じるものと考えられます。

 そう考えると、中庭型の老人ホームであれば、さまざまな志向や介護の度合いを包括することができ、介護を全く必要としないような元気な老人にとっては老人向けのアパートになるので手がかからず、いずれ介護が必要になったとしても、あるいは徘徊を始めたとしても、同じ環境のまま暮らすことが可能で、元気なうちは意識が道路の側に向かい、病気がちになれば中庭の方から面倒を見てくれるような図式になります。
 また、老人ホームで介護に従事する人々にとっても、街なかで近所にあれば通うのに便利で、夜勤なども無理なくこなせるケースが増えるものと考えられます。(本書 p443)

 

 ポイントは中庭側に少し広めのピロティを設けることで、それによって介護や配膳、相互の移動などの日々の活動が快適になり、夏の間は日差しが遮られ、冬にはガラス戸を立ててしまえば、暖かい空間で互いに行き来することが可能になります。

 

東京小金井公園に移築された前川國男自邸(本書 p454)
東京小金井公園に移築された前川國男自邸(本書 p454)

066-8 日本の暖房と断熱の行方 2013/10/26

 

 オランダで冬を過ごした年は国内の運河が凍結して、北部のフリースラントでは200kmのスケートレースが十一年ぶりに開催されるなど、例年にない寒さが欧州を襲いましたが、それでも室内の暮らしは比較的快適で、そのキーになる技術は、ラジエータと呼ばれる暖房用のパネルが、冷えやすくすきま風や結露を発生させやすい箇所に配置されていることであると考えられます。

 

 夏を旨として建てられていた日本の従来の家屋では、暖房は炬燵や囲炉裏、火鉢のような「局所暖房」が中心で、セントラルヒーティングが発達している欧米先進国に比べて遅れていると言われていました。

 その後、日本の家屋も気密性や断熱技術、暖房器具の性能も向上し、暖房の問題はある程度解決したようにも見えますが、果たして本当に解決の方法が確立したことになるのか、その辺はあまり論じられることもないようなので、ここでは欧州との比較で少し考え直してみたいと思います。

 欧州のアルプスより北の国々の冬は、偏西風やメキシコ湾流の影響で緯度の割に寒くはないものの、霧が立ち込める中に弱々しい光がさすだけの陰鬱な昼と、長い夜を過ごすことになります。この寒さよりは暗さが支配する冬の暮らしが、内省的で抑制の利いた文化を育んだとも言えるようで、冬の陰鬱さに対抗するものとして室内の暮らしにおける自発性が醸成されるようになり、それが西欧の機械文明の多くの偉大な発明をもたらしたとも言われています(和辻哲郎風土』)。

 西欧の冬は、雨が降るとは言え空気は比較的乾燥しているので、これを温めることはそれほど困難ではなく、一戸建てでもアパートメントでも家屋全体を温めるため、屋内を広く使うことが出来るようになりますが、実際に暮らした経験から言えば、その西洋の暖房を特徴付けるもの、長い冬の夜を豊かに過ごす上で鍵になる要素は、セントラルヒーティングであることよりは、「ラジエータ」の使用にあると考えています。

 

 ラジエータは、日本でも学校のスチームヒーターなどで使われている暖房用のパネルで、欧米では内部に温水を流すケースが一般的・・・建築家前川國男氏の自邸にも、既に窓の下やキッチンにラジエータが設置され・・・実際には、半世紀以上が経過した今日でも普及率は低く、東京の家庭では居間で1%、寝室で2、3%程度・・・より広範囲に温水を流す「床暖房」の話はよく聞きますが、工事費がかかるせいもあってかこちらも普及率はラジエータと同程度・・・イタリアのミラノは・・・冬の気温は北関東や丹波地方の平野部と同程度ですが、そのミラノでは居間も寝室も9割以上がラジエータ・・・冬の寒さが厳しい韓国では、伝統的にオンドルという床暖房が発達し・・・そもそもは厳寒時にオンドルの床に直接布団を敷くのが標準で・・・少し考え方が変わる可能性があります。

   ・・・

ラジエータの周囲の熱の流れ(本書 p457)
ラジエータの周囲の熱の流れ(本書 p457)

 これに対して、一番冷えやすい窓の下の部分にラジエータを配置した場合を考えてみます。

 「ラジエータ」の名からすれば輻射熱を発して部屋を温めそうですが、やり取りされる輻射熱の量は、近似的には相手の物体との温度差に比例するので、ストーブなどに比べてはるかに温度の低いラジエータから輻射される熱量は小さく、接触する空気への熱伝達で、窓の下などの一番冷えやすい箇所を温め直して冷たいスポットを作らないようにしていると考えた方が良さそうです(右図)。

 ラジエータから供給される熱量は、外へ逃げる熱量を補う形になりますから、断熱が良いほど供給する熱量は少なくて済み、その分の熱量をどう供給するかによってセントラルヒーティングであったり、個別の温水器であったりすることになります。

 ちなみに、日本に多いアルミなどの熱伝導率の高い金属を使った窓枠は、熱の逃げ道である「熱橋」として作用してしまうので、せっかくの高い気密性が生かされていない可能性があります。現状では、防火などの点で木製の窓枠には否定的な意見もあるようですが、大きなホールや公共施設などでも無垢の木を使う方法が存在し、火災の際に有毒ガスを発生する新建材や接着剤に比べると、むしろ安全であるとも言われますし(神崎隆洋『いい家は無垢の木と漆喰で建てる』)、断熱性能の高い窓枠の研究は、二重ガラス化などよりも重要な課題になるはずです。

 ラジエータは、少なくとも室内での燃焼はないので、室内の空気を汚すことは全くなく、また、熱の供給と換気とを個別にコントロールできることが実生活上のメリットで、温められた空気を滞留させて、それと感じない程度に少しずつ換気を行う方式が可能になります。(8-2:将来の冷暖房/8-2-1:ラジエータのある暮らし p453)

 

 日本の住宅に関する建築技術は、建築家や学者や技官がその方向性をリードしてきたとは言いがたく、もっぱら民間企業による建築材料や建築設備の技術によって、少しずつ快適な方向に向かっては来ているものの、生産者と消費者との間の情報の偏りは大きく、さらには情報を出し惜しみする生産者の側も合理的な開発の方向性が見出せないという自縄自縛に陥っているように垣間見られますから、消費者から見た信頼の度合が、一般の工業製品に対するものに比べて大きく劣るのも、その辺に原因があると見ています。

 

 そんな中で、少し興味深いCMのうわさを聞きました。

 

イギリス ヨーク:礼拝堂に設えられたラジエータ(本書 p463)
イギリス ヨーク:礼拝堂に設えられたラジエータ(本書 p463)

 窓枠が熱橋として作用すること自体は誰でも気づくことで、検索すれば論文レベルでは以前から知られていた事実を確認できるものですが、こういうCMが今頃流れるということは、技術の遅れだけでなく、事実を一般消費者に宣伝すること自体が業界のタブーである可能性もあり、このようにタブーを破る業者が出てくることで初めて「前から業界では常識だった」ことが庶民にも認知され、古い技術が更新されていく可能性が高くなります。

 

 ラジエータに関しては、本書では一項を割いてその可能性を考察していますが、今のところははるかに値の張る「床暖房」がライバルとして存在するため、業界が普及に力を入れる可能性は低いと考えられます。それでも、外履きのまま上がれる部屋、トイレやお風呂場のほか、古い日本家屋や公共施設に後付けで設置する際にも有効で、さらにはエコキュートなどのヒートポンプシステムとの組み合わせにより、非常に効率がよく、ずっと快適に居ることのできる暖房として、その応用の範囲は広いものになるはずですから、今後、タブーを破る業者が出てくれば、暖房の考え方も大きく変化する可能性があると考えています。

 

022-7 アナログ放送の終了に寄せて ~CATVのすすめ~   2011/7/25

東京 広尾(p408)
東京 広尾(p408)

 拙著をお読みになっていない方には、単に時流に乗ってのコメントに見えるかもしれませんが、実は本書内で、関連する課題について言及しています。
 というのも、ガソリン税の一般財源化への抵抗の一環で、縮小する道路財源の使途として急浮上した(ように見えた)「電線の地中化」に関して、欧州に比較すると技術や環境が追い付いていないことを述べ、むしろその前に全世帯へのケーブルテレビの敷設を考えた方が、市民への福祉としては、費用対効果が優良であるという見方を示しているからです。


 欧州、ことにベネルクスや北欧ではケーブルテレビの普及率が高く、ベルギーではほぼ百パーセントの普及で、多くの国でケーブルテレビの敷設や経営を、上下水道やガスの供給に似た自治体の役割と看做しているようで、チャンネルはその町の性格に合わせて、外国人居住者の多い町などは、それに合わせた海外のチャンネルの設定などが見られます。
 日本でも、片山知事の時代にケーブルテレビの整備を行政の役割として八割まで普及させた鳥取では、地デジに合わせての出費が要らなかったようですが、当の片山総務大臣は、そんなことはおくびにも出さないまま、アナログ放送の終了を宣言しました。

 

 個人的な興味は地方の若者の暮らしにあり、ケーブルテレビの存在は重要なポイントで、もし都会のテレビ番組もBBCもCNNもそのまま見られるのであれば、情報の過疎地にいる感覚は減少するでしょう。都会の情報に飢えている若い世代ならば都会と全く同じ番組とCMを好み、年齢が上がるごとに地元の情報を好むと思われ、実は若い人でもその町の身近な情報を伝える番組を好む傾向は高まっているはずで、鳥取ならば地元のサッカーの試合などには人気が集まるでしょう。

 

 さらに、双方向対応のケーブル回線ならば比較的高速のインターネット回線を利用することができるので、日本で森政権の政策に「IT」が盛り込まれるよりもはるか以前に、欧州ではITに対応したインフラがすでに各家庭に整備されていたことになります。

 欧州ではテレコム会社各社がそのあおりを食らっているそうですが、実は利用価値が低下している「電信柱」の中心的な利用がCATVになれば、NTTにとっても安定した収入源になります。
(7 暮らしやすいまちづくり /7-2日本の商業 /7-2-4街のアイテム「電柱考」「ケーブルテレビのすすめ」p402)

 

輸送部門のエネルギー消費割合(p355)
輸送部門のエネルギー消費割合(p355)

019-6 各輸送機関のエネルギー消費割合   2011/5/29

 

 東北の大地震に伴う計画停電などの影響で、首都圏の鉄道は軒並み影響を受けましたが、今後のことを考えると、問題は電力に限らない総合的なエネルギー問題なので、電車を間引くことによる節約の効果と、自動車部門の節約との影響の大きさを比較する必要があります。

 

 右の円グラフでお分かりの通り、輸送部門でのエネルギーは、8割以上が自動車に消費されていて、中でも乗用車による消費が全体の半分を占めています。
 貨物の場合は、拠点どうしの間の定期的な輸送であれば鉄道の利用が有効であるものの、建築資材などの場合は自動車以外では不合理なので、その割合を大きく変えることは難しいと思われます。

 ただ、旅客の場合は街づくりなどとの考え方の中で、効率の良い公共交通へのシフトは有効な分野になります。
(6 公共交通をつくる /6-2 これからの公共交通 /6-2-3 エネルギー問題と交通/p354)