【 第3コラム 】 だいぶ遠い四方山話はこちらで

スーパーの売り場案内(東京 六本木)
スーパーの売り場案内(東京 六本木)

044-5 駅の表示の国際化  2012/2/12

 

 海外や国内の旅先で韓国の若者と話す機会は多く、彼らの大半は日本語か英語が達者で、素直そうな笑顔で年上に敬意を表してくれるので少し先輩面で何か世話をしてあげたくなることがあります。
 子供の頃の朝鮮の新聞は漢字ハングル混じりが主流で、子供ながらにあれは「仮名」に相当するのだろうと親近感を抱きましたが、漢字を使うのをやめて久しく書く方が苦手な韓国人も読む方なら何とかできるようで、いざ書かせると隷書を基本とした立派な字を書く人が多いものです。
 ハングル自体が、ひとつの漢字の読みを表すための文字であり、実際に15年ほど前に韓国に出張した時には、習いもしないのに数日のうちにハングルが読めるようになり、日本語の旧仮名遣いから類推して漢字を言い当てることもできるようになりましたが、漢字を共有する親近感があればより親しみやすいものになるでしょう。
 中国人の同僚の話では、中国の簡体字は略しすぎで少し読みにくく、台湾の正字体は少し煩雑で、日本の略自体は漢字の基本を逸脱したものもあるけれども、略字の程度としては「ちょうど良い」そうなので、漢字圏の人々ならばなんとか理解が可能なものがほとんどだと思われます。

 

 最近では、大きな駅の案内や表示には日本語、英語、ハングル語、中国語の4カ国表記が当たり前になりましたが、情報は少ない方が分かりやすいという観点から言えば、同じ漢字圏のハングルと中国語を特別扱いするよりは、国際化に向けては英語の併記を徹底することが有効で、英語だけならば特別な知識や特殊なフォントの設定なしに、現場で作成することも容易です。
 右の写真は、あるスーパーの売り場案内で、「デイリーフード」という意味不明の日本語が当てられてはいるものの、乳製品(dairy product)の間違いであることがわかる程度であれば、素人でも作成やチェックが可能です。
 日本の漢字は読み方は漢字文化圏の異端でもあるので、初めは混乱する人が多くても馴染むのも早いはずで、これに英語が併記されていれば、ほとんど不便を感じずに、むしろ漢字の字体や読みの違いを楽しめるものになるでしょう。


 さて、ここでの本題はこの話とは少し異なり、ひとつは、大都市圏のターミナル駅の英語での表記を、なるべく国際的な標準に近付けられないかということです。
 つまり新宿や上野などの駅名の表示を、英語表記に限り「Tokyo」を冠して表して、外国人旅行者の便宜を考えるもので、前後の関係は適当に語呂を考えて決めれば良いと思います。

 例を挙げると、

東京:Tokyo Central
新宿:Tokyo Shinjuku
高尾:Takawo, Tokyo
上野:Tokyo Uheno
秋葉原:Tokyo Akihabara
京都:Kyoto Central
河原町:Kyoto Kawharamachi
出町柳:Demachi-yanagi, Kyoto
大阪:Osaka Central
難波:Osaka Namba
上本町:Osaka Uhe-hommachi
などの形になりましょうか。

 

 欧州の大都市でも、地元ではガルドリヨンやウォータールーと呼ばれていても、長距離列車向けにはパリだのロンドンだのが冠されるのが普通ですから、日本も国内を移動する外国人が増えるという現実的な国際化への対応として、効果的なものになると思われます。

 大阪駅を「Central」とするのか「North」とするのか、京都駅は「Central」よりは「Shichijo」ではないかとか、新大阪はどうかとか、論点は残りますが、むしろこれからは英語の表記を意識して駅名を考えることも必要になるかもしれません。


 もうひとつは完全に蛇足になりますが、百済の王仁博士が論語と千字文を携えて来日した当時の漢字の呉音の発音を程よく残しているのが現代の朝鮮語だとすると、日本語の正仮名遣いは当時の発音に忠実であろうとした名残で、これをうまく発音できずに訛ったものが現代の日本語の読みであると言えます。この関係はゲルマン訛りの強い発音をラテン語との紐帯を保つように表記したフランス語や、フランス語の綴りをそのまま導入して強い訛りで読んでいる英語の表記にも似ていて、訛りの方向性までも良く似ています。ドイツ語の"Nacht(ナハト)”は英語では"night"と綴って「ナイト」と発音するので、日本語で「なひと」と綴って「ないと」と発音するようなものに似ていますから、仮に日本語の地名や人名を、正仮名遣いをローマ字化して表記すれば、アジア人にも欧米人にも発音しやすいものになるのではないかと考えています。

 すでに綴りが定着した国際的に有名な町では難しいとは思うものの、うまく発音してもらえないような地名ならば、ためしに正仮名遣いからのローマ字化を試みても良いと考えています。

 

 適当に見つけた地名の正仮名遣い表記に機械的にローマ字を当てはめると、

新潟:にひがた「Nihigata」

上越:じゃうゑつ「Jauwetsu」

福井:ふくゐ「Hukuwi」

小田原:をだはら「Wodawhara」

甲府:かふふ「Kahuhu」
桐生:きりふ「Kirihu」
銚子:てうし「Teushi」
直方:なほがた「Nahogata」
真岡:まをか「Mawoka」
赤穂:あかほ「Akaho」
大井町:おほゐまち「Ohowi-machi」
青梅:あをめ「Awome」
小郡:をごほり「Wogohori」
飯岡:いひをか「Ihiwoka」
近江塩津:あふみしほづ「Ahumi-Shihodu」
八幡「Yawhata」

などになり、確かに一見無理のある綴りもあるものの、意外なほどすんなり発音ができそうなものが多くて驚かされる人も多いと思います。

 

信州更級郡の鳥瞰イメージ/ Sarashina County, Nagano
信州更級郡の鳥瞰イメージ/ Sarashina County, Nagano

032-7 さらしな紀行  2011/9/23

 

 子供の頃から「さらしな」という響きの好い地名に憧れがあり、一方で自身の知識はやや地理に偏するという自覚もあったため、『更級日記』や『更科紀行』という存在を知るようになると、別の文学的な意味のことばであると思い込むようになりました。
 意味がつながったのは、実際に「更級日記」を読んだ時で、受領階級に生まれ少女時代に暮らした東国から都への帰路に始まり、長じて源氏物語を耽読するようになっても夕顔や浮舟に自身を重ねるような地味な女性の、地味ながらみずみずしい文体の追想記に対して、これを発掘した藤原定家によって、内容や中の歌から「をばすて日記」とでもするところを、地名への連想から「更級日記」と名づけられて流布されたもので、松尾芭蕉の「更科紀行」も、おそらくは「更級日記」を意識しつつ、謡曲の『姨捨』の舞台でもある月の名所を訪ねた紀行文で、さらには江戸期には蕎麦の名産地としても知られていましたから、すべてはここの地名がもとにあるようです。

 

 その「さらしな」は郡の名前であるために、ことに戦後は注目される機会がなく、長野の近郊というだけであまりパッとした印象を残さないまま、平成の合併で行政地名としては消滅してしまいました。
 図は、地図から想像して作成した「更級郡」の鳥瞰図ですが、歴史のある宿場町、温泉町、姥捨山や川中島などの歴史名勝が俯瞰できますから、もしこの枠組みで観光開発することができれば人気が出そうな気がします。
 千曲川の対岸の「埴科郡」の方はその名の通り埴土に恵まれ、真田氏の城下町松代は陶器で知られる観光地でもありますから、こちらも長野とは別の観光価値を持っています。

 先日、たまたま稲荷山に寄る機会があり、街路のヴィスタに姨捨山(と、おそらくは名月)が配置された街の構成は魅力的で、生糸などで繁栄した往時に思いを馳せると、これからでもこういう町を「都市」として再構成していくことができれば面白い町になりそうな気がしました。

 

 「信濃」は古事記には「科野」とあり、和語の「しな」には「階」「級」「科」「品」などが当てられ、階段状、層状の物や地形、あるいは傾斜地や等級、区別を意味するようで、善光寺平や松本平などのまとまった規模の平野は多いものの、例外なく川に向かって傾斜した扇状地の、まさに「しな野」であり、水害や風害には比較的安全な「まほろば」的な土地柄であるようです。

 ただ、峠から善光寺平(長野平野)を見下ろすと、平野いっぱいに市街地がスプロールし、貴重な平地から農地が縮小している現状には驚かされます。
 今や日本の道路面積は農地面積を上回ったそうで、新しい道路は大店法の改定と相俟って商売上のフロンティアを安価に供給し、農地は潰され道路の通行効率も低下しという流れで日本の地方を様変わりさせてきました。

 道路財源の一般財源化でさえあれほど混乱した事情を考えると、この流れを止めることは絶望的に困難なのですが、百年前の英国のハワードの着想のように、農地の中に小ぢんまりと引き締まった中世風の都市を建設していくことは不可能ではないと思われます。

 もし農地の中に浮島のような町が点在する風景が再現されれば、それが日本人が最も美しいと感じる風景になるのではないかと想像しています。

更級郡八幡から見た姥捨山と棚田(この街の電線地中化は価値がありそうです)
更級郡八幡から見た姥捨山と棚田(この街の電線地中化は価値がありそうです)

追記 2012/12/22

 

 「さらしな」に関しては、地元で専門に研究している方のサイトに詳しく、古代には更級郡は埴科郡とともに「科野郡」であった時代があり、また、科野国造もこの地に依拠したとされていますから、「科野」発祥の豊かな土地柄であったことが想像されます。

 ただ、自身の鳥瞰図では夕方の黄色い月を描きましたが、月明かりがまぶしい時代の都人が思い描くさらしなの月のイメージは「白」なのだそうです。

 

 また、幕政期に「戌の満水」という大水害が佐久平や松代城下を襲ったことがあり、それにより逼迫した松代藩の財政を立て直すために恩田木工の登場が必要になったいきさつが「日暮硯」に記されていますから、他の地域に比べれば安全な土地柄ではあっても、全く無傷というわけにはいかないこともあるようです。

 

047-9 大阪商人の倫理とら抜き言葉の“精神”   2012/4/21

 

 いわゆる「ら抜き言葉」については、これを響きの良くない「乱れた日本語」として批判する声が多いのですが、個人的な見方はこれとは少し異なり、その起源として関西出身の営業マンが使う簡易式の敬語の普及と、それに伴って誤解を避ける工夫がなされたこととがあると見ています。

 

 敬語の用法を学校で教わるようになると、目上に対して敬意を込めるものと単純化されて植え付けられますが、身分制度がはっきりしていた時代でも敬意を込めていたとも言い切れませんし、ことに現代的には、垂直的な上下関係よりは、水平的な距離感を保つために敬語の意味が大きいと言われ、余所から来た人や親しくなりにくい相手に対して敬語を使って敬して遠ざけながら、親疎の度合いとその変化に応じて言葉遣いを調節していくもので、友達だと思っていた女の子から敬語で返されてショックを受ける理由もそこにあるわけです。

 その意味では親に対しては敬語を使う必要はなく、校長先生には敬語を使って距離を保つことが正しい用法になりますが、そのため小さなコミュニティの社会では敬語が発達しにくく、これに対して多くの他人と忙しくコミュニケーションをとりながらビジネスを取り仕切る大阪などの大都市では敬語が発達していて、若い人でも敬語の使い方のうまい人が多いのが大阪人の特徴とも言えます。
 ただ、忙しい社会ゆえからか「○○しはる」という簡易型の敬語が多用され、これは他人の行為を敬意をこめて表現した形であると思われますが、京都では「モンシロチョウが飛んではる」とか「ヒキガエルが潰れてはる」などとも使うそうですから、京都の日常的な丁寧語が、その品の良いイメージから尊敬語として借用されたのかもしれません。

 

 古語では、使役や受身の助動詞が敬語としても使われる場合が多く、これには、貴人の行為が自身で手ずから何かをするのは品の良いことではなく、他人にさせたりしてもらったりということが貴人らしさを示していた時代の感覚があり、「○○しはる」のイメージもそれに近いものと考えられます。
 現代では、使役の助動詞を敬語として使うことはなくなりましたが、受身の助動詞はむしろ頻繁に使われるようになり、これは関西の「しはる」に近いものとして、その代用品として多用されたきらいがあります。つまり、関西の営業マンが東京で仕事をする場合に、いつまでも「しはる」調ではいけないけれど、単語自体を置き換えるような面倒を避けて、簡易型ではあるけれども「しはる」に近い受身形の助動詞によって、忙しいビジネスの会話の中で自然に敬語を使うことができたと考えられるのです。

 

 「見ましたか?」という場合、尊敬語を使って「ご覧になりましたか?」と言おうとすると言い始める前から言葉を置き換える必要があるのに対して、簡易型では「見られましたか?」となり、「見る」の語幹を言い出してからでも「られ」を挿入するだけで、あまり洗練された言い方ではないもののともあれ敬語を使おうとしている意志だけは伝わり、それが関西のアクセントであれば、その用法にいちいち目くじらを立てる人もいなかったのだと考えられます。

 ただ、この傾向が広まってくると不都合も生じることになり、たとえば「来ることは可能か?」ということを聞こうとした場合に、丁寧語で「来られますか?」とするのが普通ですが、これが「来るつもりですか?」の敬語版の意味にとられる可能性が次第に高くなってきたため、その誤解を避けるために「いらっしゃれますか?」や「おいでになれますか?」では語呂が悪く、「いらっしゃることはできますか?」ではまどろっこしいので、可能動詞に近い形で「来れますか?」とするのが最も確実に意味が伝わる表現になります。

 

 一般に五段活用の動詞は可能動詞を作ることが出来るとされますが、これとて正式な用法からすれば邪道なのだそうで、かつては美的な観点から決して可能動詞を使おうとしない文人も多くいたと言われます。つまり「書けない」ではなく「書かれない」が正式で古い表現になりますが、正式な可能形は受身型の敬語が増えるにつれて急速に廃れてしまったのか、地方にだけ残ったために、方言が抜けない田舎くさい言い回し程度の地位に落ちてしまったものと考えられます。

 そうして、受身型の敬語がさらに増殖すると、可能動詞をつくることができないはずの上、下一段活用の動詞でも可能動詞型の表現が必要になり、それが「ら抜き言葉」になったのではないかと考えられます。

 

 つまり、ら抜き言葉に顔をしかめるのならば、誤解を避けようとする工夫に対しても批判を加えて、望ましくかつ誤解も避けられる表現を提示できなければならず、またその原因としての簡易型の受身形の敬語を多用する文化にも顔をしかめなければならないのですが、日本の文化的な議論というのは、そういう段階になると急速にしぼんでしまうところにも特徴があるように思われます。

 

048-9 「コーヒーでよろしかったですか?」   2012/4/21

 

 この言い回しは、名古屋の方から始まったとも北海道から始まったとも言われますが、「本来」なら「コーヒーでよろしいですか?」で済むところを敢えて過去形を使ったおかしな表現だということで、「乱れた日本語」の議論の俎上に載せられることが多くなりました。

 ただ、「本来」を考えると「よろしゅうございますか?」とするのが正式のはずですから、それよりも「よろしいですか?」の方がよいことを説明できない限り、「よろしかったですか?」を批判することはできないのではないでしょうか。

 

 一般に敬語の中の「丁寧語」は「です・ます調」と言われますが、古い言い方では、単に「ます調」とすべきで、その誤解が根底にあるものと思われます。
 現代語では「名詞+です」「動詞連用形+ます」が普通ですが、形容詞に関しては規定があいまいであるため、「形容詞終止形+です」が多用され、それが「よろしいですか?」になります。
 これに対して、正式な「丁寧語」は、「名詞+でございます」「動詞連用形+ます」「形容詞連用形+ございます」になるそうで、形容詞ではこれに音便が入って「よろしゅうございますか?」になるとされます。

 「です」というのは、「でございます」が「でござんす」「でやんす」「でげす」などの形でつづまったもので、花柳界などで使われたいささか下卑た言い回しが定着したものだそうですから、今でも形容詞に「です」を継ぐと何となく語呂が良くなくて言いにくく、少なからず下卑た雰囲気が残るのには、こうした背景があるのではないかと思われます。

 

 つまり、店員さんたちは「よろしいですか?」という言い回しにわずかに抵抗感を抱いていた、その言いにくさを回避するために、一旦「よろしかった」という正しい継ぎ方をしておいて、あとは付け足しとして「ですか?」を加えた表現に落ち着いた可能性がありますから、仮に正しい表現として「よろしゅうございますか?」を徹底させるというのであれば、それも見識ですが、問題が「過去形」の使用にあるのではないことは明らかです。

 「楽しいです」はおかしいと、喜々として問題にする学校の先生も、「いいですか?授業を始めますよ」という表現には疑問を持たないもので、「本来」ならば「ようございますか?」とするべきだ、鉄火場の壺振りだって「よござんすか?」を正しい日本語を使っているのにダメじゃないかと言われたら、生徒を教育したり店員さんの言葉の乱れを批判したりする立場から転落しかねないため、結局問題はなかったことにされて、爾後は「形容詞+です」で一向構わず、という結論にフェードアウトすることになるのではないかと想像しています。